よく考えたい... あるケース(2) #どう死にたいか #家で最期を迎える

病院では、高度な医療機器やスタッフが整備されていて、治す医療が重視されているのに対し、在宅医療は、生活を支える医療です。


医師が患者の自宅を訪問し、体調管理や緊急時の24時間対応、さらには患者の最期のみとりを行います。

国は、増え続ける医療費を抑制しようと、病院のベッド数の削減を打ち出しています。


年間129万人という死亡者数は、2040年に160万人に急増する見込みで、私たち誰もが、在宅医療を利用する可能性があるのです。


病院から在宅へ、流れを促進するため、国は在宅医療の診療報酬を高く設定しています。


また、医師免許以外の特別な資格はいらないため、内科、皮膚科、整形外科など、さまざまな診療科の医師が在宅医になっています。

ただ、在宅医療には、幅広い医療の知識と経験が必要です。

それらが伴わない医師もいて、患者や家族に不満が出ている現実も見えてきました。


広がる在宅医療の陰で...


在宅医療に納得できなかったという、岡本智恵子さんの場合!!!


認知症の母親を施設に入所させています。

2年前までは、母親が望む自宅で支えていこうと考えていました。

担当の在宅医に、はいかいなど、認知症特有の症状にどう対応すればいいのか相談しましたが、満足のいく答えは得られなかったといいます。


岡本智恵子さん

「(在宅医の)専門が、内科と乳腺外来で、認知症とは全く違った分野なんですね。

認知症に関してはあんまり詳しくないなということを時々感じた。」


国が推し進める在宅医療。   しかし、経験豊富な医師は不足しているのが現状です。



全国25万人の医師が登録しているコンサルタント会社には、在宅医を紹介してほしいという相談が、医療機関から相次いでいます。

医療コンサルタント会社 在宅医療 担当者

「いま登録いただいている先生方は、病院に勤務されている方がほとんどなので、なかなか(在宅医療の)経験がある先生はいらっしゃらない。」

患者の求めと医師の対応のギャップが、結果的に深刻な事態を招いたケースもあります。



この女性は、一昨年(2015年)夫を亡くしました。

夫は脳梗塞を患って以来、在宅医療を受けていました。

療養中に出来た床ずれ。

症状は日に日に悪化したため、病院を紹介してほしいと相談しました。

しかし、すぐに応じてもらえないまま、時間が過ぎていきました。

夫が在宅医療を利用していた女性

「私自身、そんなに悪くなると思っていなかった。 お願いしてれば治るんじゃないかって。

先生の機嫌を損ねてまで、あまり強く言えなかった。」

その間に症状が悪化。

自分の判断で総合病院に夫を連れていった時には、すでに左足を切断せざるを得ない状態。


夫が在宅医療を利用していた女性

「(在宅医が)自分で手に負えないと思ったら、即座に『病院に行ってください』って言ってくれるとか。主人がかわいそうだなと思うのが一番でしたよね。」




家で最期を迎えたい...

ゲスト 新田國夫さん(医師/全国在宅療養支援診療所連絡会・会長)

ゲスト 森公美子さん(歌手)



今、見てきたようなケースでは、どこまで在宅医療が対応すべき?


新田さん:在宅医療でできない医療は基本的にはないんです。

ただし、その状況、家族の介護と看護力等に応じて、やっぱり在宅医療の質は変わってくると思います。

その時の状況で、例えば病院がある場所、あるいはない場所、そして在宅医の能力等によって違ってくるんでしょうね。


これまで、病院とは違う医療をするという考え方をしてきたが、新田さんの考え方は、それとはまた違う?

新田さん:基本的には、外来の延長線上であり、そしてあるいは延長線である、その人の生活があって、その生活を保ったまま病院に入って、そこでまた在宅という流れがあると思うんですね。


一連の流れです。

在宅という、1つの切れるものではないわけですよね。

(生活を途切れさせないような医療ができることが望まれる?)


その意味で一番大切なのは、#掛かりつけ医 という存在が大切だろうと思います。

日常から、その人が本人、あるいは家族、すべて診ているわけです。

そうすると、その人が思っていることは大体分かる、ということで、また生活の場で医療もできるだろうなと思います。


在宅医療を行う診療所の数というのは、この10年で1万4,000余りに達しているんです。
広がる在宅医療なんですけれども、これまで、患者や家族の声というのは、ほとんど伝わっていませんでした。

NHKでは、在宅医療を利用していた全国の認知症の人の家族を対象に、アンケートを行いました。

その結果、不満、やや不満という声が17%ありました。

内容を見てみますと、「本人や家族の気持ちを尊重してほしい」「要望を聞き入れてもらえなかった」など、コミュニケーション不足を指摘する声が目立ちました。


この結果を、新田さんはどう見る?

新田さん:私たちは、基本的には家族を含めて、人の気持ちを含めて、診ていくわけです。

医療だけを単に提供するわけじゃなくて、その人を含めた生活を見るわけですから、基本はコミュニケーションなわけです。

そして、その人の思い、家族の思いを、そこに実現を、在宅という場所でしていくというのが、基本だと思うので、これは残念ですね。


コミュニケーションに対する不満の声が多いことに、森さんはどう思う?

森さん:やっぱり家族も含めての在宅医療じゃないですか。

家族も納得して、一緒にやっていかないといけない医療なので、だから、家族の気持ちを医師がどう受け取っていただけるか。

家族の気持ちも、また1つのコミュニケーションとして、医師にそれを相談できるような、いい環境を医師が作らなきゃいけないのかなって、ちょっと思いました。


国は今後10年間で、在宅医療の利用者を、さらに30万人増やそうとしているんです。
それに合わせて、在宅医も増やさなければならないんですが、経験の少ない医師からは不安の声も上がっています。


30代のこの医師、在宅医療を始めた当初は、現場にほかの医師がおらず、1人で判断することに大きな負担を感じていました。


30代 在宅医

「命に直結するようなことだったら、取り返しがつかないので、常に不安を抱えながらの診療だったと思います。それが本当にその患者さんと家族にとって、ベストだったのかなと、ちょっと疑問として残っていました。」


視聴者の方より

「在宅医療を熟知して、人の最期に寄り添える医師がもっと必要だと考えます」


今の医師の声を聞いていると、学べる場やシステムがないというのが現状?


新田さん:在宅の拠点事業が平成23年から平成24年と行って、そして今、平成25年から在宅推進事業全体に行って、教育システムを、例えば日本医師会を含めて、中心として今やられているんです。

一方で、新しい新研修制度が2016年に出来ているんですけど、そこでは地域研修ということで、在宅医療の研修も実は行っていて、ただし、それは全国的に広がっている、全部あるわけではない、やはり部分的でございます。


森さん:皆がやっているわけではないと。

ということは、専門的な知識やコミュニケーションに必要なことが分からないという医師も出てきてしまうということ?

新田さん:本来、医療というのはコミュニケーション能力が、まず第一です。


インフォームド・コンセント・アンド・チョイスが必要なので、それは在宅には限らないというふうに私は思っていますけど。


森さん:なるほど、確かに目を見ないお医者さんもいらっしゃいますからね。

「ここが悪いんですけど」と言っても、「はいはい」って言って書いているだけで、処方してくださるお医者さんもいらっしゃいますね。


国が病院から在宅へと大きくかじを切った中で、今、担っている人の多くが地域の開業医なんです。
しかし取材を進めますと、こうした開業医に負担が重くのしかかっていることが見えてきました。



外来も在宅医療も… 医師にかかる重い負担


リポート:杉本志織(NHK鹿児島)

在宅医療で、およそ30人の患者を担当している鹿児島市の医師、森永敏行さんです。

国が、病院から在宅への流れを後押しする中、大きな負担を感じています。

森永さんは、人口5,300人の地区で、唯一の開業医です。

診療所には、毎月およそ500人の患者がやって来ます。


市の中心部にある総合病院までは、バスで40分近くもかかるため、診療所は地域の人にとってはなくてはならない存在です。


医師 森永敏行さん

「高齢者の方はわざわざ市内(中心部)まで出るのは大変。

それが一番の外来でやる意義、意味がある。」


朝8時半の外来受け付けから午後6時の診察終了まで、手が空く時間はほとんどありません。

在宅医療にかけられる時間は、午前と午後の診療の合間だけです。

森永さんが在宅で診ている児島恭子さん、102歳です。

慢性心不全を患い、これ以上病院で積極的な治療は行えないと診断されました。

掛かりつけ医だった森永さんが、自宅で診ることになりました。

恭子さんは、このまま最期まで自宅で過ごすことを希望していました。


息子 児島照文さん      「わが家が一番いい?」

児島恭子さん                「うん。すべてがいい、気楽でね。」


森永さんはこの日、恭子さんの容体が急変した場合にどうするか、家族と話し合いました。

多くの外来患者を抱えている現状では、自分が対応できないことがあると、苦しい胸の内を伝えました。


医師 森永敏行さん

「呼吸の状態がおかしいとか、意識がかなりおかしいとか、かなり緊急を要する時には、救急車を呼んで連絡する。そちらのほうが一番早いと思います。」


息子 児島照文さん

「(医師に)1から10まで任せたいが、そこまで責任は(負わせられない)。先生のほうも大変だと思う。そこまで押しつけたら。」


話し合いから1か月半がたった今月(2月)2日の深夜。

恭子さんの容体が急変。   家族は救急車を呼び、恭子さんは病院で息を引き取りました。

森永さんは、現状のままで開業医が患者の最期までみとることの難しさを感じています。


医師 森永敏行さん

「本人の最期のステージを、いかに手助けできるかどうか。 常に基本として考えて、訪問診療しないといけないと思っているけど。1人で対応していくには限界がある。」



広がる在宅医療 医師にかかる重い負担...

森さん:でも、ほかに頼るところがないと、どこに行けばいいんだということになりますよね。

先生の大変さも分かるんですけど、もっと自治体とかが、ちゃんとこういう先生がいらっしゃいますよということを、もうちょっと教えてくれるというか、そういう機関があるといいですよね。

新田さん:全国で、こういう先生たちが頑張ってきているんです。

それを支えるのが俗に、地域包括という中で、自治体によって、きちっとシステムを作るということで、医師会を含めて、こういった先生たちをさらに育てつつ、作るシステムが必要ですよね。


今の現状では、医師に負担が重くのしかかっている?

新田さん:外来から、今の在宅というのは、平均すると85歳以上がほぼ60%です。

そうなると、通えなくなるので、もうちょっと自然に在宅にしていかざるを得ないというふうに思っています。

そんな中、在宅医療を進めるために、医師の負担をどう減らしていくのか、各地でさまざまな取り組みが始まっているんです。


全国から注目が 医師の負担減らす取り組み...

今、在宅医療に取り組む全国の医師の視察が相次いでいる場所があります。

三重県四日市市です。

あらゆる病状の在宅患者を受け持っていた開業医の負担を減らすため、在宅医療に特化した診療所を開設。
ここで、24時間対応が必要な、がんなどの患者を引き受けました。
負担が減ったことで、新たな開業医の参加が増え、結果的に自宅で最期を迎えられる人も増えました。


この医療モデルを提唱した医師 石賀丈士さん

「やる気のある人はどんどん引っ張り出して、医者の数を増やしていかないと、患者のニーズに応えられないので、仕組み作りをまずする必要がある。」


また、在宅医療を利用している患者の要望に応えるためにどうすればいいのか、模索している現場もあります。


広がる在宅医療 患者のニーズにどう応える...

在宅医療に携わっている医師たちが、互いの知識を補うために行っている、症例検討会です。

参加者の中には、内科医や脳神経外科医、そして麻酔科医など、さまざまな専門分野を持つ医師がいます。

それぞれの知識を共有することで、自分の専門外のことにも対応できる力を身につけようとしています。

より患者のニーズを把握しようと、医師に加え、専門のスタッフを同行させている取り組みも始まっています。

「診療アシスタント」と呼ばれる、こちらのスタッフ。

3年間の研修で、専門的な知識を身につけます。

患者が望むケアはもちろんのこと、買い物には行けているのか、入れ歯などに不具合はないか、生活の質にも目を配ります。


医師 安井佑さん

「医師は患者や家族について、よく観察するが、それとは別の視点を持った人間が同時に介入することによって、気付けることが倍になるし、声かけも倍になる。

患者にとっても大きなメリットになる。」


広がる在宅医療 患者にとっての理想とは...

こうした取り組みによって、在宅の理想である、生活を支える医療というのに近づけることができる?

新田さん:今、恐らく、先ほどの巨泉さんの例とか等々で、そこに関わる人たちが違ってくるような気がしていて。

例えば、がんの緩和ケアだったら、訪問看護師さんが精神ケアもやるし、そして、認知症であれば、そこに地域のすべての支援、家族も含めて、あるいはケアマネも含めて、行政も含めてというような、その状況によって、違ってくると思います。


さまざまなやり方があったが、その地域に合ったものを生かすというのが大事になってくる?


新田さん:その中心が、僕はやはり、掛かりつけ医だと思うんですよね。

掛かりつけ医をきちっと研修していただいて、もう1回、地域の在宅も含めて参入して、そこが原点とならなきゃいけないなというふうに思っております。

森さん:まずは、医師のそういう意識ですよね。

在宅に対する意識を、もう少し勉強しようとか、そういう機会があるといいですよね。

新田さん:そういった機会を今、本当は作ってはいるんですが、もっともっと、そういう地域の先生にぜひ参加していただきたいです。

森さん:すばらしいですね。

日本人は来てくれただけでうれしいんですよ、ありがたいと思っちゃって、そこで満足しちゃうんじゃなくて、やっぱり先生にも求めることがあったりすることをちゃんと言えるような関係作りですよね。


今後の在宅医療はどうあるべき !!!


笑顔で送るために、それぞれが何ができるか、もう一度見直すことは、大事になるかもしれませんね。

森さん:コミュニケーションですね。



家で最期を迎えたい ~広がる在宅医療の陰で~ 20170216

在宅医療、24時間が大変… 医師の約7割が回答 「自身の体力が課題」との声も 

2017.2.18

在宅医療に取り組むうえでの課題として、診療所などを運営している医師の約7割が24時間の対応や自身の体力をあげていることが、15日に日本医師会が公表した調査の結果で明らかになった。

これから広く展開していくために大事なことでは、高齢者の生活を支える介護の充実も多くなっている。


かかりつけ医機能と在宅医療についての診療所調査

この調査は、医師会が診療所の管理者や法人の代表者を務める3416人の会員を対象に実施したもの。1月23日まで受け付け、1603人から有効な回答を得たという。


それによると、在宅医療を行うにあたって特に大変だと感じていることでは、

「24時間の往診体制をとること」が73.5%で最も多かった。

以下、「自身の体力」(69.1%)、「24時間連絡を受けること」(65.9%)、「緊急時に入院できる病床を確保すること」(52.6%)と続いている。


「在宅医療の拡大に重要なことは何か?」との質問への答えは、

「受け皿となる入院施設の整備」が67.8%で最多。

次いで、「家族の介護力の確保」が52.2%、「緊急時に対応可能な訪問看護ステーション」が51.7%、「受け皿となる介護施設の整備」が50.3%、「緊急時に対応可能な介護事業所」が44.7%となっている。


医師会は今回の結果を踏まえ、「医師の体力の問題で在宅医療から撤退する診療所もある。負担軽減が必要」と主張。

「地域でかかりつけ医と看護・介護職が連携し、入院・入所や在宅ケアを必要に応じて柔軟にできるようにすることも重要」と指摘している。

突然の余命宣告…

渾身の医療ドラマに何を想う?

2017.02.18

人はいつ死ぬかわからない。

もし突然、自分が不治の病に冒され、「あなたの余命は半年です」と医師から宣告されたら?

「完治する奇跡を信じて、病魔と闘う」か、

それとも、

「死を受け入れ、残された時間を大切に生きようとする」か。


昨年、その徹底した取材で話題となった『最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常―』。


その著者が送る書き下ろし小説『最後の医者は桜を見上げて君を想う』(二宮敦人/TOブックス)は、対立する2人の若き医師を通し、死に対して人はどうあるべきかを問う医療ドラマだ。


地域の基幹病院として機能する〈武蔵野七十字病院〉。

若くしてその副院長となり、「天才」との呼び声も高い外科の医師、福原雅和。


彼は患者と共に常に全力で病魔に立ち向かうことこそが医師の役割だと信じている。

患者に寄り添うためならば、忙しいさなか千羽鶴を折ってやることさえいとわない。

徹底的に死と闘う。


〈「人はどうしてこんなものに頼るのかな」〉―千羽鶴を前にして冷たくこう言い放つのは、武蔵野七十字病院皮膚科の医師、桐子修司だ。

桐子は福原と違い、“患者には死を選ぶ権利がある”が信念。


がんで余命半年の患者とその家族を前にして、〈「どう死にたいですか?」〉などとのたまう。おかげで、付いたあだ名は〈「死神」〉。冷静に死を迎え入れようとする。


熱血漢の福原と、クールな〈「死神」〉桐子。

2人の医師の対立を、「いかなる神業で不治の病に罹患した患者を救うか」ではなく、「避けられない死を前にし、医師としてどうあるべきか」で描いているところがこの作品の魅力だ。


そもそも各章のタイトルが「とある会社員の死」「とある大学生の死」とあるように、登場人物が死ぬことは読者にあらかじめ提示されている。


ある日突然、白血病と診断された会社員。

3ヶ月も前から念入りに準備してきたプレゼンの機会を奪われたどころか、退職までさせられてしまう。

入院を余儀なくされ、強力な抗がん剤を投与され、止まらない吐き気と下痢、脱毛、口内炎に苦しめられる。


筋萎縮性側索硬化(通称ALS)に冒された大学1年生。

3浪の末に念願の医学部に合格を果たしたにもかかわらず、退学を余儀なくされる。

全身の筋力が次第に低下していく難病のせいで、希望に満ち溢れた未来をすべて奪われる。


どんなに辛く苦しい思いをして治療を頑張っても、死は避けられない。

ただ〈生きる〉という、これまで簡単に出来ていたことを奪われ絶望する患者を前に、自分たちの主義主張をめぐって対立する福原と桐子。


フィクションであるとわかっていても、自分と重ね合わせて読まずにはいられない。

病室の様子、医療スタッフとの会話、治療の苦しみ。大好物のバニラアイスを食べても、油の塊にしか思えない感覚。


こういったリアルな描写を読むうちに、いつの間にか読者自身も“死”と対峙している。

自分や家族や大切な人たちがもし、同じような状態になったら?福原vs.桐子、どちらを正しいと思うだろうか。


いや、これは単純な勝負の問題ではないし、正解もない。

患者が死の淵からよみがえるような奇跡は起こらないけれど、作者は最後に小さな救いを二人の医師に残す。

それは読者にとっての希望でもあるのだ。


#リビング・ウイル(LW)とは、治る見込みがなく、死期が近いときの医療についての希望をあらかじめ書面に記しておくものです。

協会のLWである「尊厳死の宣言書」は、「不治かつ末期での延命措置の中止」「十分な緩和医療の実施」「回復不能な遷延性意識障害(持続的植物状態)での生命維持装置の取りやめ」の3項目を、署名した本人の意思として表明しています。

尊厳死は、延命措置を断わって自然死を迎えることです。

これに対し、安楽死は、医師など第三者が薬物などを使って患者の死期を積極的に早めることです。 

どちらも「不治で末期」「本人の意思による」という共通項はありますが、「命を積極的に断つ行為」の有無が決定的に違います。 協会は安楽死を認めていません。



Kim Jong Kook - One Man [Eng. Sub]


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