「#自分の人生は自分で決める!」 #安楽死 #自分の治療を決定する権利 #アドバンスケアプランニング #絶食ガイドブック #自殺薬常備権利 #最期のときを決められない...

月刊『文藝春秋』2016年12月号に掲載された、脚本家・橋田寿賀子さんの「私は安楽死で逝きたい」が話題になっている。


「夫との死別から27年、91歳脚本家の問題提起」と副題にあり、

「日本でも安楽死を認める法案を早く整備すべきです」

と主張する。


橋田さんは、安楽死を望むようになった理由を次のように述べている。

「あの世で会いたいと思う人はいません。この世でしたいと思うことは一杯しました。あまり恋愛はしませんでしたが、もう、あれもこれもしたいとは思いません。心を残す人もいないし、そういう友達もいない。

そういう意味では、のん気な生活を送っていますけれど、ただ一つ、ボケたまま生きることだけが恐怖なのです」。


そこで橋田さんはスマホで安楽死について調べ、

スイスに安楽死させてくれる団体があることを知る。


2002年4月にオランダがはじめて安楽死を合法化し、ベルギーとルクセンブルクがそれに続いたが、自国民にしか安楽死を認めなかった。

それに対して、スイスでは外国人でも自殺ほう助機関に登録でき、

不治の病の末期であれば安楽死を受けられる。

費用は7000ドル(約80万円)で、現在は60カ国5500人が登録しているという。


もっとも、スイスの自殺ほう助団体のひとつ「#ディグニタス」では、

「希望者が提出した医療記録を医師が審査し、治る見込みのない病気で耐え難い苦痛を伴うなど、裁判所が認めた場合に限り、致死量の麻酔薬を処方されて安楽死が叶えられる」とのこと

橋田さんが望むように、認知症初期で安楽死が認められるわけではなさそうだ。


安楽死が認められている国は欧米の数か国...

現在、スイス、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクのヨーロッパ各国のほか、アメリカのニューメキシコ、カリフォルニア、ワシントン、オレゴン、モンタナ、バーモントの6つの州で安楽死が認められている。


北欧やベネルクス3国など「北の欧州」のリベラルな社会では、

「個人の自由を最大限尊重し、人生は自己決定に委ねられるべきだ」というのが常識になっている。

こうして売春やドラッグ(大麻)が合法化され、安楽死が容認されるようになったのだが、その流れはますます強まっている。


安楽死合法化といってもさまざまなケースがあり、多くの場合、

スイスのように「治る見込みのない病気で耐え難い苦痛を伴う」ことが条件とされている。


だが、1970年代から安楽死合法化を求める市民運動が始まり、80年代には安楽死が容認された「先進国」オランダでは安楽死の概念が大幅に拡張されている。

ここではその驚くべき事例を、

読売新聞記者・三井美奈氏の『安楽死のできる国』(新潮新書)からいくつか紹介してみたい。

最初は、1994年に、自殺未遂を繰り返していた50歳の女性を安楽死させた精神科医のケースから。

その女性は22歳で結婚して2人の男の子を産むが、夫の暴力で家庭生活は不幸で、長男は恋愛関係のもつれを苦に20歳で拳銃自殺してしまう。息子の死のショックで精神に異常を来たした彼女は、精神病院から退院すると夫と離婚、次男を連れて家を出るが、その直後に次男はがんであっけなく死んでしまう。

生き甲斐だった2人の息子を亡くした女性は、大量の睡眠薬を飲んで自殺をはかるものの死にきれず、かかりつけ医に「死なせてほしい」と頼んでもあっさり拒否されたため、自発的安楽死協会を通して精神科医に救いを求めた。

この精神科医は彼女を診察し、「自殺願望を消す方法はなく、このままではより悲劇的な自殺をするだろう」と診断し、同僚ら7人の医師・心理学者と相談のうえ、致死量の即効睡眠剤によって患者を安楽死させたのだ。


自殺ほう助罪で起訴された精神科医は一審、二審とも「不可抗力」として無罪、最高裁では、第三者の医師を直接患者と面談させなかったとの理由で形式的な有罪となった。


この判決によって、肉体的には健康な人が自らの意思で「平穏に自殺する権利」が認められた。


さらに、2002年発効の法律では「患者が意思を表明できる状態になくても、判断力が残っているうちに安楽死希望を記していた場合、医師は患者の希望をかなえられる」と規定されており、患者が認知症で判断力を失った場合でも、事前に安楽死の生前意思を残していれば、医師は安楽死を行なえることになった。


これが、橋田さんの望む安楽死法なのだろう。


認知症と診断された患者の最期の迎え方...

認知症患者の安楽死は、どのように行なわれているのだろうか。

71歳の患者のケースを紹介したい。

ヘンクはモーツァルトの音楽を愛する知識人だったが、67歳のとき診断で脳に欠損が見つかり、そのため、ときどき暴れるようになった。

家族に暴力をふるったり、忘れっぽくなったりするが、正気を取り戻しては、自己嫌悪にさいなまれた。


「生きている時間の15%しか快適ではない。あとは不安と苦痛の人生だ。もう耐えられない」。

ヘンクは症状が進むのを恐れ、入水自殺を繰り返した。

何度目かの自殺未遂で意識を取り戻したとき、医師はヘンクの死の要求を受け止めるしか、彼を苦痛から救う手段はないと覚悟した。

迷った末、医師は別の病院から2人の精神科医を招き、さらに地域医も呼んで、それぞれヘンクと面談させた。

3人とも、彼が「耐え難い苦痛」を持ち、病状から“回復不可能”だと診断を下した。

ヘンクは約20年前から自発的安楽死協会の会員で、安楽死宣言書も持っていた。

条件は整ったが、検察官は「精神障害の安楽死は難しい。不起訴になる保証はない」と医師に警告した。

しかし医師はヘンクの希望に従って安楽死を実行し、検察は4か月後、「必要条件は注意深く守られた」と結論づけ不起訴を決めた――。


このように認知症と診断されたからといって、たんなる将来への不安だけで安楽死が実行されるわけではない。

しかし逆に、認知症が進行してすべてを忘れてしまえば、不安そのものもなくなってしまう。

医師がその患者に向かって、「あなたが元気な頃に求めていたように安楽死させます」と言えるのか、というのは大きな問題だ。


こうしてオランダでは、「高齢者が自殺する権利」をめぐる議論が起こることになる。


安楽死の目的は終末期の患者の苦しみを和らげるためだけではない!!!


自殺の権利」の背景に、オランダでは患者に自分の治療を決定する権利が認められていることがある。

1995年に医療契約法が施行され、医師は患者が拒否する治療を強制できなくなった。

これによって、オランダの病院での悲惨な死が社会問題になった。


83歳のアネットさんのケースだ。

友人とのテニスやブリッジが趣味で、おしゃれで活発な女性だったアネットさんは、1998年に水頭症と診断され、翌年、心臓発作を起こして左半身が麻痺し、思考力が落ち話すことも不自由になった。

寝たきりで何もできない状態は、アネットさんにとって真っ暗な人生でしかなく、絶望から「もう、生きていられないわ。安楽死させてちょうだい」と訴えた。

だがそのとき、アネットさんのかかりつけ医が自身の病気で入院中だったため、別の医師が診断することになった。

この医師は病院内の協議の末、安楽死要請を拒否した。

するとアネットさんは、「安楽死できないなら、絶食死する」と家族に宣言して、点滴の管やカテーテルを引き抜いたのだ。

アネットさんは食事を一切とらず、1日1杯の水を口にするだけになったが、医師はなにも言わず、管を再挿入しようともしなかった。


医療契約法では、患者の意思に反する治療は違法だからだ。

それでも1日3度、食事は用意された。

アネットさんは空腹に耐えかね、ひと口食べたこともある。

だが、飢餓感はじきに収まり、やがて意識が薄れて、夫を見てかすかに微笑む程度の反応しか示さなくなった。

絶食開始から約5週間後、アネットさんは絶命した。


絶食開始のとき、アネットさんは夫の腕にしがみついて、こう言い残したという。

「あなた、私は怒りを表明したいの。望んだ死が果たせなかったことを、死亡広告にはっきり書いてちょうだい」

こうして、オランダの新聞に掲載されたアネットさんの死亡広告には、葬儀日程の下に夫の次のような一文が添えられることになった。

「数週間の壮絶な闘いの後、妻は尊厳ある生命の終焉はもはや不可能だと悟り、つらい選択をしました。……人間らしい最期を迎えられなかった彼女は、もはや示すことのできない(安楽死についての)法律への怒りを示すよう、私に要望しました」。


アネットさんのようなケースはオランダでは珍しいことではなく、#自発的安楽死協会が「 #絶食ガイドブック」を出版しているほどだという。


この小冊子は、絶食に入るときはその意思を文書に記して介護者や医師に示すことを勧め、「のどが渇いた時は、氷のかけらをしゃぶる」「空腹感がある時は、カロリーの少ないキュウリやメロンを少量口にする」などのノウハウが紹介されている。


このようにして、終末期の患者の苦しみを和らげるための安楽死ではなく、「人生を離脱する権利」が唱えられるようになった。


これは「#自殺薬を常備する権利」でもあり、1991年、「75歳の人間は、20歳の人間より、将来残されている人生について予測ができるものだ。その分、死を決める権利が多く与えられてもよいではないか」との論文を新聞に寄稿した元最高裁判事ハイブ・ドリオン氏の名前から「#ドリオンの薬」と呼ばれている。


そして96年、自発的安楽死協会が「ドリオンの薬」の合法化を提案したが、2002年発効の安楽死法には盛り込まれなかったため、いまも法制化に向けての運動が続けられている。


ドリオンの薬が認められない一方で、2000年、「孤独」を理由に安楽死を求めた元上院議員エドワルド・ブロンヘルスマ氏(当時86歳)の要請に応じて致死薬を飲ませ安楽死させた医師が、一審で無罪判決を受けた。


ブロンヘルスマ氏はかつて、労働党の論客として活躍したが、家族や友人を次々と亡くし、孤独の日々を送っていた。

そして息子ほども年のちがうかかりつけ医に対し、「私の人生には意味がない。からっぽだ」「毎日死ぬことばかり考えている」と訴えつづけ、安楽死を要求した。


かかりつけ医はブロンヘルスマ氏を精神科医に見せたが、「精神的な異常はない」と診断された。

ほかの地域医にも面談したが、ブロンヘルスマ氏の人生に対する「耐え難い苦痛」には治癒の見込みはないという意見だった。

そこで98年4月、医師はブロンヘルスマ氏に致死薬を手渡したのだ。


「人生に絶望している以外は健康で理性的な老人」に対する自殺ほう助の無罪判決にオランダの世論は沸騰した。

当時の保健相(血液免疫学の医師でもある)は、「私の知人に95歳の女性がいます。彼女が『(自殺する)薬を持っていて、それを飲むわ』と言ったら、私は満足よ」と発言した(のちに「大臣として軽率な発言」と謝罪)。

2002年の最高裁判決では、医師を有罪としたものの刑罰は課されなかった。


このようにオランダ社会は、「一定の年齢に達したら、病気などの事情がなくても、自分の死は自分で決める」という究極の自己決定権まであと一歩のところまできている。

日本は安楽死の「先進国」だった!!!

ここまで『安楽死のできる国』からオランダの安楽死事情を紹介してきたが、「自分の人生は自分で決める」という彼らの強い意思に圧倒されたのではないだろうか。


ひるがえって、日本ではどうだろう。


実は日本は安楽死の「先進国」で、早くも1961年、安楽死を容認する6つの要件を名古屋高裁が示している。

愛知県の20代の長男が、脳溢血で倒れ5年間寝たきりの父親が発作に苦しみ、「早く死なせてくれ」と悶絶するのを見るに忍べず、農薬を飲ませて死亡させるという事件だった。

その後も家族による「安楽死」が続いたが、1991年、神奈川県の東海大学医学部付属病院で、末期がんで昏睡状態にある患者に対し、家族の強い求めによって医師が塩化カリウムを注射させて安楽死させ、殺人罪で起訴されるという事件が起きた。

この事件で横浜地裁は、積極的安楽死には「患者本人による意思表示」が前提になるとしたうえで、


患者に耐え難い苦痛がある
死が避けられず死期が迫っている
肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、ほかに代替手段がない
患者が意思を明示


という四要件を満たせば、医師の行為を罪に問わないとした。


それと同時に、延命のための人工呼吸器や点滴を外す「治療行為の停止」や、

死期を早める可能性を知りながらモルヒネなど強い鎮痛剤を投与する「間接的安楽死」は、

患者が昏睡状態で意思表明できない場合、家族の意向を尊重してよいと判断した。


こうした「先進的」な司法判断の背景には、日本がもともと自殺に対して寛容な社会だということがある。


オランダのようなキリスト教国では、安楽死を認めるには「自殺は神への冒瀆」という信仰を乗り越えなければならない。


それに対して日本では、切腹が武士の名誉ある死とされ、心中は究極の愛で、子連れの無理心中は子どもへの思いやりだとされてきた。


ベストセラーになった『永遠のゼロ』を挙げるまでもなく、特攻は愛国的な(もしくは愛する家族を守るための)崇高な死として称賛され神聖化されている。


自殺を容認する文化によって、日本は韓国やロシアと並び先進国のなかでもっとも自殺率の高い社会になっているとの批判は根づよいが、それは同時に、安楽死に対する寛容さにもつながっている。

延命治療中止で裁かれた医師はなぜ患者のチューブを抜いた?

2017.03.02

欧米で安楽死容認の動きが広がりつつあるいま、日本でも「安らかに、楽に死にたい」という意見を目にする機会が増えている。

“どう生きるか”と表裏一体である“どう死ぬか”という問題に大きな関心が集まっているのだ。


超高齢社会の日本で「無駄に思える延命治療はいらない」という声が出てくるのも自然なことだろう。

ただ、そうした“選択”はこの国でどこまで可能なのか。かつて、患者のチューブを抜いて罪に問われた医師の言葉は重い──。


15年前、48歳だった逮捕当時の写真と比べると、須田セツ子医師は少しやせ細った印象だった。

記者が事件当時と気持ちの変化があるかを尋ねると、表情をほとんど変えずに、「あまりないですね」とポツリと呟いた(以下、「」内は須田医師)。


1998年11月、川崎協同病院で呼吸器内科部長(当時)を務めていた須田医師は、気管支喘息の重積発作で心肺停止状態になった患者から、気道を確保するための気管内チューブを外した。

すると、患者が上体をのけぞらせて苦しみだしたため、鎮静剤と筋弛緩剤を投与したところ、患者は息を引き取った。


事件化したのは、それから3年後の2001年のことだった。

同病院の麻酔科医の内部告発により発覚し、遺族が“抜管に関して家族の同意はなかった”と訴えたのである。

新聞紙上に連日、〈安楽死事件〉の見出しが躍った。


裁判で争点となったのは、

(1)家族の同意の有無と、

(2)筋弛緩剤投与の方法と量である。


2007年2月の東京高裁判決では、

(1)抜管に家族の承諾があったことを認定したが、

(2)殺意をもった筋弛緩剤投与だったとし、懲役1年6か月、執行猶予3年の判決を下した。


2009年12月に最高裁が上告を棄却したことで、殺人罪が確定した。


当時の報道では単に、“安楽死”という言葉が並んだが、“医師が薬物を投与し、患者を死に至らす行為”は積極的安楽死と呼ばれるものだ。

日本では認められていない。


一方、“回復の見込みのない患者が、延命措置を拒否すること”は近年になって尊厳死と呼称されるようになり、一部の医療現場では、事実上容認されている現状がある。

 

つまり、裁判で須田医師は積極的安楽死を行なおうという“殺意”はなかったと主張し、それが退けられたことになる。

事件当時の状況について聞くと、須田医師は目に涙を浮かべているようにも見えた。

「(亡くなった患者のように)脳の状態が悪いと、セデーション(鎮静剤)が効きづらいんです。中枢神経がやられているから効きが悪く、薬が多くなってしまう。それで筋弛緩剤を投与したのです」


須田医師はあくまでも、患者の苦痛をやわらげるために筋弛緩剤を投与したと主張したが、裁判で証言した看護師との間で、筋弛緩剤の投与方法や量をめぐって証言が食い違い、須田医師の主張は退けられた。

患者が亡くなった後、今に至るまで遺族とは法廷以外で顔を合わせていないという須田医師は、筋弛緩剤を投与した時の気持ちをこう振り返る。


「ご家族は(死を看取る)固い意志をもって、みんな集まっていた。そんななかで患者さんが(チューブを抜いた後に)苦しんでいるのを家族に見せるのが辛かったので投与をした。もし、そこでご家族の誰かが『もう一度(チューブを)入れてください』と言ってくれていたら(状況は)違っていたかもしれない。こっちから提案するような雰囲気じゃなかったから……」


その様子は家族との意思疎通がうまくいかなかったことについて、思うところがあるようにも見えた。

病院で行なわれている過剰な延命治療の大半は家族の希望!!!

2017.02.10 

91歳になる脚本家の橋田壽賀子氏が、月刊誌『文藝春秋』(2016年12月号)に「私は安楽死で逝きたい」と寄稿したことが大きな反響を呼んでいる。

日本ではいまだ安楽死も、尊厳死も法的に認められていないが、患者の望む最期を助けるべく、医師たちは戦っている。


安楽死は、「積極的安楽死」と「消極的安楽死」があり、前者は「医師が薬物を投与し、患者を死に至らす行為」。

後者は「医師が治療を開始しない、または治療を終了させ、最終的に死に至らす行為」と定義される。


そして、「安楽死」とは別に「自殺幇助」という死に方もある。

こちらも、安楽死同様、「積極的自殺幇助」と「消極的自殺幇助」のふたつに分けて考えられる。


前者は、「医師が薬物を投与するのではなく、患者自身が投与して自殺する行為」。


後者は「回復の見込みのない患者に対し、延命措置を打ち切ること」で、一般的に日本語で表現される「尊厳死」がこれに当たる。


「尊厳」とは言いつつも、家族の存在が患者の「穏やかな最期」の妨げになりかねないと話すのが、これまで2000人以上を看取ってきた長尾クリニック院長の長尾和宏氏だ。


「チューブだらけになっての死は人間の尊厳を損ねているので、私は過剰な延命治療を問題にしてきました。

しかし、仮に患者自身が拒否しても、家族が延命治療を求めた場合、医師が拒めば殺人罪で訴えられる可能性がある。

一般の病院で行なわれている過剰な延命治療の大半は家族の希望によるものなのです」


長尾氏は、家族が安楽死と尊厳死の違い、それぞれの正確な意味や内容を知らず、誤解をしていることも混乱の原因になっていると話す。


「ただ、何が過剰で、無駄な延命治療かの判断は非常に難しい。脳死でも生きていることに意味があるという家族は沢山いる。だから、私も毎日、『自分がやっている医療が患者の利益になっているのか』と葛藤しているのです」(長尾氏)


長尾氏のように、家族の意思を尊重するという医師は少なくない。

『看取りの医者』の著者で、ホームオン・クリニックつくば院長の平野国美氏もその一人だ。


「私は自分から患者さんに対し、終末期の延命治療を拒否するという意思を文書で示す『リビング・ウィル』を求めたことはない。


なぜなら、治療が必要になった時、実際に延命治療を行なうかどうかの判断をするのは家族だからです。


亡くなるのは患者さん自身ですが、死ぬ時になって家族も“これで良かったんだ”と納得できるようでなければ、私は『穏やかな死』というものは成立しないと思っているからです」


誰もが安らかに死にたいという思いを持っている。

だが、理想通りにいかないのが現実である。

だからこそ、死に携わる医者たちは、日夜、苦しみ、葛藤し、患者と向き合うのだ。

※週刊ポスト2017年2月17日号


クローズアップ現代 : 延命治療の 現実 / 自分らしい人生 NHK    #最期のときを決められない

2014年11月19日(水)放送


“最期のとき”を決められない ~延命をめぐる葛藤~

https://www.arab-medical-company.com/videodetails_93854912.html


今注目のアドバンス・ケア・プランニング...

 2017-02-14

救急での対応

 例えば「自宅のベッドで最期を迎えるために帰宅したのに、急変時や外出中に倒れて救急車を呼んでしまった」というとき。

救急外来に搬送され、人口呼吸や点滴をされることがあります。

救急外来は搬送者を生かすために働いているので、これは当然のことでしょう。

しかしこの場合、


 「人口呼吸や点滴をいつ外すのか」

 「いつ自宅に帰るのか」


 という問題が起こり、何のためにアドバンス・ケア・プランニングしたのか分からなくなってしまいます。

本人の意思で決めた内容を書いたキーホルダーなどに書いて持ち歩き、救助してくれた人に分かるようにしておく。そうした工夫が必要でしょう。


アドバンス・ケア・プランニングは、医療関係者が中心になって行うことが多いものです。

しかし救急外来や救急隊員の人にも、この取り組みについて周知しておくと良いのではないでしょうか。


 また、これは「患者がなくなったらおしまい」というのではありません。

 「苦しまずに息を引き取りたい」「献体したい」「臓器を提供したい」といった死後の処置も話し合うこと。

さらには葬式のやり方の希望、最近は墓ではなく例えば骨を海にまくなどという埋葬方法など選択肢が増えています。

本人のご希望を叶えることは、とても大切なことです。


治療に関わる人たち

 高齢者が対象になるのであれば、アドバンス・ケア・プランニングの過程にケアマネジャーも関わることになります。

ケアマネジメントでは、「リハビリ」「できるものは自分でする」などのプランを立てることが多いでしょう。


最近「看取り加算」が定められましたが、痛みが少なくなるためにケアしながら好きなことを行い、一日を大切に過ごしながらできるだけ苦しまず人生を終えるという目標をプランとして実現するのは、まだ一般的ではありません。

しかし、これは少しでも早く点数化して欲しいものです。


 「安楽死を認めるべき」という声が多いのは、今の医療の中で苦しまずに息を引き取るというイメージがまったくないから。

現在を生きる方々は、例えば「年をとったら楽しいことなんてない」「痛いのが怖い」「管につながれて生きるなんて」というネガティブな考えしか持つことができません。

しかし、誰にでも必ず最期のときは訪れます。

死にいく道を思い通りにできる、あるいは苦しまないという希望が叶えられれば、もっと人生を前向きに考えられることでしょう。

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