在宅での看取りから お葬式まで...

2023年頃からは高齢者を中心に、毎年150万人超もの人が死を迎えると予測されています。

亡くなっても医師への連絡は急ぐ必要ない

DATE:2016.09.28 16:00 NEWSポストセブン

在宅死を望む高齢者は多いものの、家族は看取りの経験も知識も乏しく、不安を抱える。

そんな家族のために、

看取りの手順などをまとめた小冊子を用意する医療機関や介護施設が増えている。

実際の資料と在宅専門医や看取り実績が豊富な老人ホームの協力をもとに作成した

「お別れパンフレット」から「亡くなった時とその後の対処法」を紹介しよう。


 在宅で亡くなった時、混乱して一刻も早く、医師に連絡を、となりがちだが、

   家族で死を看取ると考えたなら慌てる必要はない。


──医師への連絡を急ぐ必要はありません。優先すべきは家族とのお別れです


臨終の時にも、冷静さが求められる。

呼吸が止まったかどうかは鼻に手を当てて、
鼓動は心臓に手を当てて確認。
そして首の動脈に手を添えて脈を測る。
最後に眼を開いて瞳孔が大きく広がったかどうかを見る。


死亡を確認しても、すぐに医師に連絡する必要ない。


亡くなった時間を控えておけば、ゆっくりお別れを済ませてからでも遅くない。


医師が到着するまでにやるべきことは、


故人の目が開いていれば瞼を閉じさせ、

口が開いていれば、枕を高くしタオルを丸めて顎の下に入れておくと自然に閉じる。


思い出話が尽きなければ、医師を呼んだ後にまた花を咲かせればいい。


駆け付けた医師は、

#心拍停止 ・ #呼吸停止 ・ #瞳孔散大 の「 #死の3兆候」 を確認して

死亡診断書を書くだけ。


長くても30分程度の滞在。


◆死亡後・エンゼルケアは遺族が施す

 

故人に家族ができることはまだある。

病院死の場合に看護師などが行なう  #エンゼルケア( #死後処置 )は家族でもできる。

このケアの有無で遺体の状態に大きな差が出るので、

きれいな姿で見送るために詳しく知っておきたい。


──手足を真っ直ぐにしてあげてください


緩和ケアの専門医である長尾クリニック院長の長尾和宏氏が解説する。

「医師や看護師以外はご遺体に触れてはいけないと思っている家族が多いですが、

そんなことはありません。家族の手で姿勢を整えたり、エンゼルメイク(死に化粧)を施すことで、“自宅で最期まで介護できた”というやり切った感が得られ、後々の悲観が軽減することもあります」


死後2~3時間後に始まる死後硬直の前に、遺体の手足を真っすぐにする。


関節が曲がったまま硬直すると、その後の着替えや納棺時に苦労することになる。


──下腹を押して溜まっている便や尿を出してあげましょう

 排泄しないと、着替えさせた後に突然、体内に残っていた便や尿が漏れ出すこともある。その後は体を丁寧に拭いてあげ、用意した服に着替えさせる。


──男性でもお化粧をして、顔色をよくしてあげましょう

 死亡後は顔が白くなっていく。

女性には普段通りのメイクを施し、男性でもヒゲを剃った上で頬紅やファンデーション、

さらに口紅を薄く塗ると、生前の顔に近づけられる。



グリーフケアで注意すべきポイント!!!

~たとえば、「気を落とさずに」と声をかけていませんか?~


#グリーフケアにおいて注意するポイント

その1.悲しみを否定しない

過度な励ましや勇気づけはしない


グリーフワークでは、今そのときの悲しみを受け入れていくことが大切です。

つい「気を落とさずに」「前を向いていきましょう」「泣かないで」などと声をかけてしまいがちですが、それらの言葉には、悲しむことを抑制してしまうような意味が含まれてしまいます。


本来の感情を抑制することは、グリーフワークを進みづらくしてしまいますので「泣いていいよ」「つらいね」など、悲しみをあたりまえとして受け入れられる言葉が望ましいでしょう。


「泣く」などの感情表現を認める

グリーフケアでは、感情を表現していくことが望ましいとされています。


我慢する、抑制するではなく、故人について話したり、自身の悲しみを表現できるような環境をつくったり、「対話」を行っていきましょう。


グリーフケアにおいて注意するポイント

その2.身体に影響の強いものに依存をしないようにする

アルコールや精神安定剤に依存しすぎていないかを把握する


アルコールは一時的ではありますが、気持ちを安定させたり、悲しみを緩和させたりします。

また精神安定剤も薬であるため、大きな効果が見込まれます。

しかしながら、グリーフワークにおいては、感情を抑えるのではなく、悲しみそのままを認めて表現していくことが大切になります。

アルコール摂取が過度になれば、グリーフケアが進まないばかりか依存症に繋がらないとはいえません。


精神安定剤についても、きちんと医療機関に通院をし、医師の処方どおりに服用できていればいいのですが、自己判断で服用している場合があり、効果的とはいえない場合があります。


周囲が適切な機関を勧めるあるいは、一緒に受診することも大切


当事者では判断できない状況に陥っていることも多いため、ケアを行う立場の人間が適切な医療機関や、心理士などの専門家を紹介するなど外部と繋いでいくことが必要になると考えられます。


また、時には同行するなど、本人が一人で抱え込まないようきっかけを作ることが大切です。


グリーフケアにおいて注意するポイント

その3.生活支援が必要な場合、ソーシャルワーカー等の専門家へ繋ぐことも必要

専門家への相談も必要です


深い悲しみの渦中にあるご遺族は、悲しみを消化する段階において、感情のコントロールが難しくなったり、身体面の不調を呈している場合があります。


生活の困り感や、体調の不調があっても周囲に助けを求めることができず、抱え込んでしまっている場合もあります。

この場合も、ケアを行う立場の人間が、ソーシャルワーカーなど適切な情報を持っている職種に繋いでいくことが必要になります。



お葬式なんかいらないと思った日

最期の時の後のことを書いてみます。



息を引き取っただんなが看護師さんに体を拭いてもらっている間に、


タウンページで自宅近くの斎場を探し、父が電話で葬儀を依頼。 

同時に、義母が佐世保の菩提寺に葬儀の依頼をした

けれど、地元で法要が入ってるということで、自宅近くのお寺を紹介してもらい、

法要を依頼。


霊柩車の後ろを一人で運転しながら自宅に帰りました。


そこからが私にとっては辛いこと続きでした。


自宅のお布団に寝かせただんなはすでに死後硬直が始まっていて、

胸の前で手を組ませようとしても固まっている。


それを少しずつ力を入れ、最後は半ば強引なくらいに葬儀社の人が腕を曲げていた。


それを見てまず号泣。


もう、だんなの体は人間じゃない。


泣く私をみて、だんなが見えないように部屋のドアを母が閉めた。


その後、通夜・葬式の打合せ。


さっき病院から帰ってきたばかりで  


正直 まだ 今はそんなことを冷静に考えられる状態じゃない。


でも、お金を出すのは私。 そして妻だから私に決定権があるという。


祭壇はどれにするか。


何人分の食事とお返しを用意するか。 お返しは何にするのか。

そして、棺はどれにするのか。


身長が178センチだった だんなは亡くなると 関節が伸びて

(という表現じゃなかったと思うけど)、180センチは超すから、


特大の棺じゃないと入らないという。


そんなことまで。


料金についても、私はその時まで葬儀は「一見客」のようなものだと思っていたけど、


会員か会員じゃないかで料金が全然違うという。



運よく、だんなの幼馴染の家族が会員で権利を譲ってもらうことにしたり。

(このことがあって、私の両親はある典礼会社の積み立てをしています)


そして遺影写真の準備。


これが本当に辛かった。


なぜ今、こんなことをしなくちゃいけないのか。

笑顔の写真を探すなんて。


そして改めて気づく。だんなの笑顔の写真が少ないことに。


私の写真を撮る時は、「後から見た時あの時楽しかったんだなって思うように」と、

笑え笑えと言って、笑わないとシャッターを押さないくせに、

自分の時は超照れ屋で笑わない。


だから余計に写真を選ぶのに時間がかかり、泣きながら選んだ。


そして、今まで開けたこともないだんなの携帯のアドレス帳を開いて


長崎の高校時代の同級生や、予備校や大学時代の友人へと連絡。


仕事関係は、仕事でも関わりのあっただんなの幼馴染にお願いした。


私の友人関係は、すべて父に頼んだ。


だんなが入院していた病院に勤めていた友達以外、


誰にも闘病のことを知らせていなかったので、

反響とそれに対応できなそうな自分が怖かったから。



自宅での仮通夜。

昼間の快晴から一転、とにかく冷え込んだ。


でも、暖房をつけずその日私はだんなの横にお布団を敷いて寝た。


そして次の日の斎場での通夜。


みぞれ交じりの雪が降って、電車が遅れたりするくらいだった。


義母と一緒に斎場に泊まりこんだが遅くまで仕事仲間の人が来てくれた。


亡くなってから荼毘に付すまでの間で 唯一こころから「よかった」と思えたのは

通夜の前に湯灌をしてもらった時。


女性二人でいわゆるお風呂のようにだんなの身体を洗ってもらった時。


1年のうち330日くらいは働いていただんなの唯一の楽しみは温泉。


仕事で遠出した時には、必ずその土地の温泉に浸かるくらい好きだった。


入院して約3ヶ月。お風呂にも入れずにいたのを、シャンプーしてもらった。


その時が本当に生きているみたいに目を閉じて気持ちよさそうな顔に見え、

だんなの姉達と「よかったね、よかったね」と声をかけた。


生きてる人と同じように丁寧に湯灌をしてくれた方に当時も今も感謝で一杯。



そして次の日が葬儀。

出棺の時、棺を閉めるのが嫌だった。


最後にだんなにキスをした。 止めてしまいたい。 だけどそんなことはできない。


でも、棺のふたを閉められた時、 「嫌だ!私も一緒に逝く!」 棺にすがって泣いた。


でもそんな私を見て、

母は「しっかりしなさい。そんなことじゃ〇〇君が安心していけない」と

涙も流さずたしなめた。



そして

そして

一番辛かったのは火葬場。



私の経験上、火葬場へはごく近い親戚だけが行くことが多いと思うのだが

若かったこともあってか、だんなの地元の幼馴染や学生時代の友人も来てくれていた。


これが私の辛さに拍車をかけた。


火葬が終わるまでの時間、待合室にいる人達は一種の同窓会。


もちろん、だんなのことを悲しんでいてくれるのはわかっている。

だけど、談笑している。


笑っている。楽しそうにしている。

だんなは今、焼かれてるんだよ?


猛烈に腹が立って、猛烈に悲しくなって、みんなと一緒に待合室にいるのが

苦しくてたまらなくなった。


「お前ら、帰れ!」そう言ってしまいそうだった。

辛すぎてひとりでトイレに逃げた。


今だけじゃなく、その時だってそんな気持ちは八つ当たりだってわかってる。


でも、「本当に悲しいのは私だけ」(正確には私と義母)


誰も私の気持ちなんてわからない。誰も私と同じ位悲しくない。

私は結婚式(披露宴)は親の為にするものだと思っていたので、

自分は ドレス1着だけきて、

その当時やっと耳にするようになった人前式で挙式できればいいと思ってたけど、

父が娘の白無垢を見たいというから、

神前式をし、ドレスの試着に一緒に行った母が、とても気に入ったから

これを着て欲しいといったカクテルドレスも着ることにするなど、

親の願いを叶えることを第一にした。


そして、この葬儀はだんなの為。


病気のことも入院のことも仕事で迷惑をかける人にでさえ隠していただんな。

でも、最後はきっとみんなにお別れを言いたいはず。


だから辛いけど、その時自分でできることはやったつもり。

そして私がやってあげたかった。

でも、やらなきゃよかった。

ホントは本当はもっとゆっくりじっくり二人だけでお別れがしたかった。

なのに、バタバタして色んな事に追われてお別れしてしまった。

「気持ちの区切りの為にお葬式などの儀式は大事」ってよく言うけど


あれはウソだ。


あれは、年老いた親等との別れの時とかじゃないのか。


お葬式したって区切られなんかしない。

気持ちの整理なんかできない。

お葬式なんかしなきゃよかった。


小さく小さくなっただんなを胸に抱えて家に帰ったあの日、そう思った。

あれから12年経って。お葬式はしてよかったんだと思う。


だんなは来てくれた人みんなに感謝していると思う。

でも、私はもっと二人でいたかった。

ゆっくりお別れしたかった。

お葬式なんかいらなかった。


「るーし」さんのブログより

박정현, 첫 트로트 도전! ‘비 내리는 영동교’ @신의 목소리 2회 20160406

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