#逝き方(6)... #家で死ぬを叶えるために必要なものは? #小林麻央… #緩和ケアのがん患者!!!
人生の最期をどこでどんなふうに迎えるか――。
この誰もが抱く問いかけに、ひとつの理想形を見せてくれたのが、2017年6月に若くして乳がんで亡くなったフリーアナウンサーの小林麻央さん.....。
麻央さんは亡くなる約1カ月前に退院し、在宅でケアを受けることを選んだ。
ブログには息子のお手伝いで足湯に浸かったり、母親の搾ったオレンジジュースを楽しむ様子が綴られ、住み慣れた家で最期まで明るく過ごした様子が伝わってくる。
入院生活の制約から解放され、旅立つ直前まで思い思いに過ごせるのが在宅終末期医療の良さだ。
心身共にリラックスできるためよく眠れるようになり、食欲も出て、結果的に医師の見立てより長く頑張れる患者も珍しくないという。
半面、終末期の在宅医療は、患者の家族の負担がどうしても大きくなる。
入院治療では日常のケアを看護師が行うが、在宅の場合は食事や服薬の世話まで家族がサポートする必要がある。
特に終末期の患者となれば、容態が急変した緊急時の不安も大きい。
終末期在宅医療での、介護者の負担とはどれほどなのか――。
それを客観的に示した研究結果が、アメリカの医学誌『Health Affairs』7月号に掲載された。
終末期は介護時間が週に60時間超にも!
米マウントサイナイ・アイカーン医科大学のKatherine Ornstein氏らが、高齢者約2400人とその介護者のデータを分析したところ、「終末期に介護者が介護に費やした時間は、終末期以外での介護の約2倍」にも上ることが明らかになったという。
海の向こうアメリカでは、家族を中心とした「無償の介護者」が高齢者や終末医療の在宅介護を担うことが珍しくない。
日本のような皆保険制度はないが、在宅介護で金銭的に困難になった場合は、低所得者支援である「メディケイド」の対象となり補助が得られる。
また65歳以上の人は、公的な医療保障制度である「メディケア」の補助を受けることができる。
しかし、それらを除けば、アメリカの介護サービスは「家族介護」と「自己負担」によって賄われている。
さらに、施設でのケアを重視してきたメディケアやメディケイドの介護給付も、近年の財政逼迫に伴って施設から在宅ケア重視へと転換しつつある状況だ。
米国介護連盟と、全米退職者協会(AARP)が2015年に実施した調査によると、過去12カ月以内に50歳以上の高齢者に対して無償の介護を提供したアメリカ国民は3400万人を超え、その多くは女性だ。
一方、終末期の介護に家族などの無償介護者がどの程度関わっているのかについては、これまでわかっていなかった。
そこでOrnstein氏らは今回、65歳以上の高齢者とその介護者に対して行われた調査を用い、終末期の高齢者(調査から1年以内に死亡)と、終末期ではない高齢者との間で、ケアを担う介護者の数、介護に費やす時間などを比較した。
結果、終末期の高齢者ひとりを介護する「介護者数は平均2.5人」で「週当たりの介護時間は61.3時間」。これに対して、「終末期ではない高齢者では週当たりの介護時間は35.5時間」だった。
また「介護にあたって身体的な困難がある」と回答した介護者は、終末期を迎えた高齢者介護では35%を占めていたが、それ以外の高齢者介護では21%にとどまっていた。
「自分のための時間がない」と回答した介護者の割合も、前者では51%に上っていたが、後者では21%だった。
なお、介護者の約9割が報酬のない「無償介護者」だったが、それが配偶者である場合、ほぼ3分の2は他の家族や友人などによる支援を受けずに、ひとりで介護を担っていたこともわかった。
緩和ケアで家族の負担が軽くなることも
患者の権利や終末期の問題を扱う団体「Compassion & Choices」代表のBarbara Coombs Lee氏は、「今回の調査対象となった介護者が、介護中の高齢者が終末期にあることを必ずしも認識していなかった可能性がある」と指摘。
「死期が近いことを認識していないと、無益で苦痛を伴うだけの治療を選択することになりやすい。それによって介護者の負担まで増大してしまう場合がある」と説明している。
一方、今回の研究を実施したOrnstein氏は「終末期の介護では家族の負担が重くなることを、多くの人に知ってもらいたい」と話す。
また、高齢者の苦痛を和らげる緩和ケアサービスへ、よりアクセスしやすくすることも検討すべきだと強調。
「それにより、家族に対する支援サービスの提供も促されるのではないか」としている。
Lee氏も、ホスピスや緩和ケアにアクセスしやすい環境を整備すべきとの意見に同意し、これらの利用を阻む障壁となっている最大の要因は情報不足であることを指摘。
「医師が積極的に共有しようとしない情報を知り、率直な対話をすることが、緩和ケアの普及につながるのではないか」との見方を示している。
家族介護者を支えるサービスの充実を
日本では高齢化に伴い、1年間に亡くなる人は現在の約130万人から、2040年頃には年間約170万人に急増すると予測される。
医療費削減のために介護・医療政策が「施設から在宅へ」と推し進められている状況は、わが国もアメリカと同様だ。
加えて、内閣府が2012年に55歳以上の約2000人を対象に行った調査では、「自宅で最期を迎えたい」と回答した人は54.6%にのぼる。
一方で在宅ケアを専門とする地域医療も少しずつ整備され、末期がんの患者では在宅でのケアを選ぶ人の割合が増加しているという。
在宅医療は高額なイメージがあるが、実際には医療も介護も公的な保険制度が適用される。
自己負担が一定額以上になれば「高額療養費制度」で払い戻しが受けられるし、70歳以上の一般所得者の医療部分における自己負担限度額は1万2000円だ。
そうした制度を利用すれば、一般的には、病院に入院する場合にかかる総費用と同じくらいか、それ以下だと考えて良いだろう。
そうなるとやはり最も高いハードルは、アメリカの調査が物語るように、サポートする家族の負担の大きさだ。
日本のある介護情報サイトの調査によると、家族介護者の約6割が「1日の介護に費やす時間は5時間以上」と答えている。
これが平均値なら、終末期はもっと介護時間が長くなることは想像がつく。
今後、在宅医療を選択肢にしていくためには、家族介護者へのさらなるサポートが不可欠だ。
ひとつの方策として、家族が介護から解放されて、趣味などに費やす時間を提供する「レスパイトケア」サービスの充実がある。
現状、訪問介護やショートステイ、夜間サービスなどが用意されているが、重いがん患者などが利用できる療養型デイサービスはまだ少ない。
また、末期のがん患者は40歳以上であれば訪問介護サービスを介護保険で受けることができるが、そのことを知らなかったという家族も多いという。
末期がんだけでなく、ALS(筋萎縮性側索硬化症)、関節リウマチ、脳血管疾患、脊柱管狭窄症など合計16の特定疾病が対象となる。
在宅医療をサポートする情報のさらなる発信も必要とされている。
「死」に向かう人ひとりひとりの思いが守られ、安心できる場所で最期を迎えることができるよう、これから社会全体で支えていく仕組み作りを急がねばならない。
緩和ケアのがん患者「家族のために生きた男の最後の選択」
2017.09.22
「がん」が進行し、病院で治療の術がないと告げられたときに、どんな選択肢が残されているのか。
「緩和ケア」──その響きには、単に患者の痛みを和らげ、弱って死ぬのを待つだけというイメージがつきまとう。
しかし、緩和ケアを選び、最後まで普段通りに仕事を続け、家族と価値ある時間を過ごせた人たちがいる。
群馬・高崎の緩和ケア診療所「いっぽ」で、3年越しで医師と患者に密着取材を続けているジャーナリスト・岩澤倫彦氏がその実像を描く。
* * *
「友達を連れてこられる家に住みたい、と娘に言われてね。よし、大きい家を建てようと、毎日4時間しか眠らないで働いたのさ。2人の娘はしっかり育ったし、母ちゃん優しいし、満足しているよ」
家族のために生きた男の最後の選択とは──。
2011年10月、群馬県伊勢崎市に住む、森下勝博さん(当時62歳)は、大腸がんが見つかり、長女・文恵さんが勤務する市民病院で左半結腸を切除した。
この時、リンパ節転移が確認され、抗がん剤治療が始まる。
その副作用が勝博さんを一変させた。
「抗がん剤を打つと興奮状態になって、まともな会話ができない。夜も眠れない。指の爪は全て割れて、血が滲んでいました。コップさえ持てないし、運転もできない。常に吐き気がする。うつ状態になって、死が頭から離れませんでした」(勝博さん)
運送の仕事を辞め、自分の部屋に引きこもった。
勝博さんは抗がん剤治療に耐え続けたが、2年後に今度は肝臓に転移が見つかる。
もう限界だった。
主治医・保田尚邦氏(伊勢崎市民病院・診療部長)は、勝博さんに「いっぽ」の受診を勧めた。
「いっぽ」は、25年前、群馬・高崎市で緩和ケアの草分けとして開設された緩和ケア診療所だ。
「最終段階のがんは、完全に治すことはできない。でも本来、医療の役割は痛みや苦しみを取ることです。患者にとって大切なのは、命が延びることだけではなく、その人が楽しく、自分らしく生きることです。緩和ケアは諦めじゃない。“攻めの医療”です」(保田氏)
2014年6月、勝博さんは妻と2人の娘と一緒に、「いっぽ」を訪れ、緩和ケアを受けることを決めた。
自宅の庭で、梨や梅、キウイなどの手入れができるようになった。
念願だった孫とのキャッチボールも実現して、働きづめだった勝博さんに家族との安息の日々が訪れた。
◆また歩けるようになった
2015年1月、「いっぽ」のロビーで勝博さんが吐血。痙攣の発作が起きて意識不明となった。
一緒にいた妻・和子さんは、自宅に連れて帰る決断をした。
勝博さんは自宅でも2度吐血、苦しみから「眠らせてくれ」と訴えた。
そのため、セデーション(鎮静処置)を実施、勝博さんは深い眠りについた。
看護師の長女・文恵さんが、仕事を休んで寄り添う。
「仕事で亡くなる患者さんと接しているので、手足が真っ白になった父を見て、これで終わりかもしれないと覚悟を決めました」
永遠の眠りにつくと思われた7時間後、勝博さんが目覚めた。
「なんだこりゃ?」
あの世に行ったはずが、自宅の天井が目に入ってきたからだという。
この言葉を聞いて、妻や娘たちは涙を流しながら笑った。
その後、勝博さんは点滴などの治療は一切せずに、ひたすら安静を続ける。
「お父さんのベッドの脇に布団を敷いて、昔みたいに家族4人になったねと言ったら、嬉しそうにしていましたね」(次女・博子さん)
2015年3月、桜が咲き始めた自宅近くを歩く、勝博さんの姿があった。
両手にストックを握り、カメラが追いつけないほど速いペースだ。
「歩けるようになるなんて、夢のようだね。倒れた時も頭は冴えていて、俺は自由なんだって思ったら、回復しちゃったんだよ。治療は一切していません」
リハビリも兼ねて、独学で覚えた“手作り籠”が「いっぽ」の看護師や知人に好評で、100個以上を作った。
「主人が頑張ってきて今の家族があるんだから、今度は私が恩返しする番だなと。本当の自分を取り戻せる場所が、家だと思います」(妻・和子さん)
◆穏やかな旅立ち
2015年5月、明け方に勝博さんが吐血した。
午前7時30分、萬田緑平医師(注)が森下宅を緊急訪問して診察。
勝博さんは、脈が極めて弱くなっていたが、意識はあると確認する。
【注:萬田緑平医師は2017年、いっぽから独立して緩和ケア萬田診療所(前橋市)を開設】
午後2時15分、「いっぽ」の福田元子看護師長が到着。
血中酸素濃度を測定し、勝博さんと言葉を交わす。
「98%です、ちゃんと血液に酸素が運ばれてますよ」
勝博さんは目を閉じたまま、頷いて応えた。
「うん、頑張ってるね」
午後2時30分過ぎ、勝博さんが大量に吐血。
福田師長と家族が連携して対応する中、勝博さんが「痛い、痛い」と訴える。
午後3時2分、竹田果南医師の判断でセデーション(鎮静処置)実施。
これによって、勝博さんの表情は穏やかになる。
午後3時43分、妻・和子さんに手を握られながら、勝博さんは眠るように息を引き取った。
──翌年春、次女・博子さんが長男を出産。
笑顔の中に勝博さんの面影が宿る。
長女・文恵さんは、勤務先の病院でがん患者の退院支援の職に就いた。
「まだ病院の医師や看護師は緩和ケアを知りません。現場から意識を変えていきたいと思っています」
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