#小林麻央さん、がん発見後の後悔「あのとき」 そして「治療の終わり」を告げる鐘を鳴らす子供たち...
2016年09月04日
#乳がん で入院しているフリーアナウンサーの #小林麻央さん(34)が9月4日、自身のブログを更新し、がんになってから分かった「 #後悔 」について思いを打ち明けた。
ブログでは冒頭、がんと闘病中の元プロボクサー、竹原慎二さんが、3日にブログで「麻央ちゃん 頑張れ〜 負けるな祈ってるよ」と書いたことに「すごいパンチ力でどストレートに深く響きました!ありがとうございます」と謝意を表明した。
その上で、竹原さんが「自分の身体を大事にすればよかった」と、がんになってから後悔したことをつづったことに関連して「私も後悔していること、あります」と、以下のように続けた。
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あのとき、
もっと自分の身体を大切にすればよかった
あのとき、
もうひとつ病院に行けばよかった
あのとき、
信じなければよかった
あのとき、、、
あのとき、、、
(解放|小林麻央オフィシャルブログ「#KOKORO.」Powered by Amebaより 2016-09-04 10:31)
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「痛み止めを飲むのが嫌」だったという小林さんは、痛みで限界を感じて薬を飲んだときに「身体の痛みが和らいで、なんだかわからないけれど、『 #許されていく 』感覚がした」といい、以下のように振り返ったという。
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何で頑なに
こんなに自分を苦しめる必要が
あったのだろう。
私、悪いことしたから病気になった
わけでもないのに、
なんで勝手に罰みたいに
苦しんでいたのだろう。
(中略)それほどの意味もないのに、
それほどの理由もないのに、
自分を許さないなんて
あまりに自分に対して可哀想だったと
思います。
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小林麻央が5日ぶりにブログ更新「だいぶ弱ってしまい」2016年12月15日
小林麻央が「がんではない」と診断された過去を告白 読者から驚きの声
小林麻央がブログで、「がんではない」と診断された過去を告白した
「セカンド・オピニオンを受けるべきだった」
という患者の声も寄せられた
専門医でも乳がんを見逃すケースがあることに、驚いている人もいたという
2016/09/20(火)
小林麻央、現在の転移を明かす 告知日は脇のリンパ節のみも…
乳がん闘病中のフリーアナウンサー小林麻央が20日、ブログを更新し、乳がんを告知された日の様子を告白。
医師の表情で「陽性だったんだな、癌なんだな」と分かったと、当時の様子をつづった。
また、現在は肺や骨などにも転移があることも明かした。
麻央は、前回のブログで生検を受けた直後、医師から95%がんであると言われたものの「結果を見たら残り5%だったということもあるはず」と希望を持ち続けていた心境をつづっていた。
だが、やはり待っている時間は辛かったようで「生検の検査を聞くまでの10日間は、ひとりだけ違う時間軸に生きて、ゆっくりゆっくり皆とは違う 暗闇に置いていかれるような感覚だった」とした。
告知日は、診察室に入った医師の表情で「陽性だったんだな、癌なんだ」と察知したといい、「心の準備は意外とできており、冷静に先生のお話を伺った」と振り返った。
麻央の実母も乳がんを患っていたことも告白した上で「治療に関する知識はある程度あった」と、ある程度冷静に“告知”を受け止めたようだ。
更にブログでは「この時点では 脇のリンパ節のみだった(その後、現在肺は骨などに転移あり)」とつづられ、現在は肺、骨に転移があることも触れている。
闘病ブログ、多くの人の心に 麻央さん、20日まで更新 2017年6月24日
「ずっと麻央は、きっと皆様のそばにもいると思う」「『愛している』と言って旅立ちました」。
フリーキャスターの小林麻央さんが亡くなったことを受け、23日、東京都内で会見を開いた夫で歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(39)は、涙ながらに語った。
梨園(りえん)の妻として夫を支え、闘病ブログの筆者としてがんの患者たちを励ました麻央さん。喪失感が広がった。
海老蔵さんによると、麻央さんは22日に都内の自宅で息を引き取った。海老蔵さんは23日朝、自らのブログに「人生で一番泣いた日です」などと書いた。
「私もお姉さんの麻耶さんも、子どもたちも、そばにいられた。本当にかけがえのない時間を過ごせた」
「笑顔と勇気と愛情。そして、決してぶれない自分。どんな状況でも相手のことを思いやる気持ち、愛ですよね。そういった力が、最後まであった」と振り返った。
麻央さんは新潟県生まれ。
大学時代からバラエティー番組に出演し、2006~10年、日本テレビ系「NEWS ZERO」のキャスターも務めた。
多くの読者を獲得したブログ「KOKORO.」などでは「誇らしい妻、強い母でありたい」「私の人生は、夢を叶(かな)え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生……より色どり豊かなものにするために」などと記した。
16年6月に乳がんの治療を公表した時、海老蔵さんは「かなりスピードの速いもの」と語った。
海老蔵さんは会見で「多くの人の救いになれるように一生懸命、闘病しました。ブログを始め、同じ病の人たちと悲しみや喜びを分かち合う姿は、人ではないというか、すごい人と思う」と話した。
さらに「こんなに愛されていたのはよく分かっていたんですけど、最後の最後まで愛してくれていた」「教わったこと、今後も教わり続けることは愛なんだと思います」と力を込めた。
「ここ数日、絞ったオレンジジュースを毎朝飲んでいます……朝から笑顔になれます。皆様にも、今日 笑顔になれることがありますように」。
今月20日に更新された麻央さんのブログの記述だ。これが最後となった。
海老蔵さんは「一昨日まで笑顔でいました。我々家族も、急にそういう風になってしまったので戸惑った部分もすごく大きかった」とも言った。
長女の麗禾(れいか)ちゃん(5)と長男の勸玄(かんげん)君(4)は大切な母を失った。
「麗禾は認識はしていると思う。勸玄は分かっていないところもある。私が今後、背負っていくもの、やらなくてはならないこと、子どもたちに対してとても大きなものがあるなと痛感しました」と語った。
一方、「ZERO」に出演するアイドルグループ嵐の櫻井翔さんは悲報に接し、「『ZERO』初回の時から、およそ3年半、ご一緒させていただきました。
家族を失ったような気持ちでいっぱいです」と悼んだ。
■「苦しみ・喜び、ありのまま伝えてくれた」患者・家族らからも死を惜しむ声
病気と向き合う人たちの間から、小林麻央さんを悼む声が上がった。
「麻央さんは、生きる喜びを、てらいなく発信された。濁ったものがなかったから、多くの人がその光にうたれたのだと思う」
5年前に肺がんに似た肺カルチノイドで亡くなった流通ジャーナリスト金子哲雄さん(享年41)の妻、稚子(わかこ)さん(49)は話す。
東京・銀座でライフ・ターミナル・ネットワークという組織を立ち上げて、いつか迎える「その時」について講演や情報発信をしている。
哲雄さんは闘病を伏せて亡くなる前日まで電話取材を受け、死後に著書「#僕の死に方」を出版した。
「生身をさらして発信することがどれほどハードか想像できるだけに、つらくて麻央さんのブログをなかなか見られなかった」
昨年10月、両胸に早期の乳がんが見つかり闘病中の兵庫県宝塚市の会社員、本田三記(みき)さん(46)は「希望の光が消えてしまった」。
今年1月に手術を受け、仕事をしながら、放射線治療を受けた。
不安で笑顔を忘れそうになる時、小林さんのブログが励みだった。
「病状が深刻でも、苦しみ、迷い、喜びもありのままに勇気を持って伝え続けてくれた」
食道がんで闘病中の大阪市の会社員谷島(やじま)雄一郎さん(39)は、小林さんの娘と同い年の長女がいる。病になり、娘と妻との時間を何より大事に過ごすようになった。「多くの人に、大切な人や時間を見つめ直し、日々をどう生きるかを考えるきっかけをくれたのではないでしょうか」
患者の思いに寄り添うがん医療を... がん対策推進基本計画10年 治療・暮らしどう変わった
2017年5月23日
2006年6月に参議院で可決成立したがん対策基本法。
国のがん対策の基本方針「がん対策推進基本計画」が2007年にできて10年。
治療体制が整えられ、緩和ケアや患者の就労対策などの取り組みも進んできた。
この夏には第3期の計画が策定される。
これまでの目標や改善点、今後の課題を紹介する。
日本人の死因の第1位であるがんへの対策を強化しようと2006年に「がん対策基本法」が成立した。
これに基づいて翌07年に作られたのが、第1期のがん対策推進基本計画だ。
07~11年度の計画で、国民の視点に立つことと、医療や予防、研究といった様々な分野を総合的に実施することを基本とする。
10年間の全体目標は▽75歳未満のがん死亡率を20%減らす▽全てのがん患者とその家族の苦痛の軽減と療養生活の質の維持向上――とした。
12年には、第2期(16年度まで)の基本計画ができ、「がんになっても安心して暮らせる社会の構築」が全体目標に加わった。
重点的に取り組む課題として▽放射線や抗がん剤による化学療法の充実と、それぞれの専門医の育成▽がんと診断された時からの緩和ケアの推進▽患者のデータを集めて対策や検診に生かす「全国がん登録」の推進――をあげた。
第2期計画では、重点課題に、「働く世代や小児へのがん対策の充実」が追加された。
仕事と治療の両立が困難な現状に対応しようと社会保険労務士やハローワークと連携した支援をしている。
数が少ない小児がん患者が適切な医療を受けられるように、と13年には、全国の15施設が小児がん拠点病院に指定された。
国立がん研究センターがん対策情報センターがん医療支援部長の加藤雅志さんは「それまで優先度が高くなかった痛みや不安を和らげる緩和ケアの充実に、基本計画ができて目が向けられた意義は大きい。
2期計画では、がん患者が仕事を続けるにはどうすべきかという新たな課題に向き合い、社会の対応は変わり始めた」と振り返る。
■死亡率削減と受診率向上 目標達成は道半ば
掲げられた数値目標は達成できたのか。
死亡率を減らす目標には届かなかった。
年齢構成を調整してそろえた死亡率が年齢調整死亡率。
人口10万人あたりの75歳未満のがん年齢調整死亡率は、2005年の92・4から15年には78・0に減ったが、20%減にあたる73・9には及ばなかった。
がん検診の受診率や喫煙率減少の目標が達成できていないことなどが影響したとみられている。
小林麻央さん逝去に がん専門医が思うこと
フリーアナウンサーで乳がん闘病中だった小林麻央さんが、22日夜亡くなったと報道された。まず初めに、深い哀悼の意を表明するとともに、ご家族や周りの方々へ心からのお悔やみを申し上げたい。
闘病中には、夫の歌舞伎俳優・市川海老蔵さんとともにブログでその様子を書くなどしていた。実に多くの人が読んで応援していただろう。私もその一人だ。ブログでは闘病の中でご自身の写真を公開するなどし、患者さんを勇気付けていた。
筆者は大腸がんの治療を専門とする外科医だ。がん治療に携わって10年以上になる。これまで1000件以上の手術をし、多くのがん患者さんの診療にあたってきた。そんな私が、がんの専門家として書くべきことがある。内容は以下の通りだ。なお、本記事には小林さんの病状を説明したり推測する内容は一切ない。また、文中には大腸がんの生存率の情報があるため、知りたくない方は読まないで頂きたい。
1, ラストシーンについての誤解と実際
2, 動揺されるがん患者さんとそのご家族へ
1, ラストシーンについての誤解と実際
一つ目は、「ラストシーン」についてお話ししよう。「ラストシーン」とは、がんで亡くなる直前のことだ。末期や終末期という言葉が好きではないので、私はよく「ラストシーン」とか「着陸前」と表現する。
多くの方は映画やドラマなどで、ラストシーンがかなり悲惨なものだと思っているかもしれない。例えば抗がん剤の副作用でゲーゲー吐き、何も食べられず、痛みと苦しみでのたうちまわるーーー。
しかしそれは昔の話で、今はそんなことはほとんどない。
なぜなら、そういったラストシーンでの苦しみを取り除く治療がかなり発達し普及したからだ。この治療のことを、痛みや苦しみをやわらげるという意味で「緩和ケア」という。この緩和ケアには、痛み止めの薬で痛みを取り除くのみならず、息苦しさやだるさ、足のむくみなど体のすべての症状をやわらげる。それどころか、「自分ががんになったという苦しみ」や「死の恐怖」などの精神的な、あるいはもっと根源的な「魂の苦痛」と呼ばれる苦しみにも向き合う。
痛み止めについて少し追加すると、今ではがんによる痛みに対しては多くの場合、医療用の麻薬を使う。モルヒネやオキシコドンと呼ばれるものだ。麻薬と聞くと驚く方が多いだろうが、実に有能なお薬であり、たいした副作用もなくきちんと痛みを取ってくれる。他のどんな痛み止めでも効かないような痛みでも効果がある。麻薬はその有用さから、手術のあとの傷の痛みにも世界中で使われている。麻薬といえば麻薬中毒が心配かもしれないが、痛みがある状態で適正な量を使っていて中毒になることはまずありえない。私も何百人も麻薬を処方してきたが、一人も見たことがない。
こういったお薬や色んな手立てを講じるので、現在ではラストシーンはだいぶ穏やかであることが多い。もちろん全く症状がない訳ではないが、自宅のベッドの上で少しは平穏に毎日を過ごされる方が多い。
ドラマや映画では、がん患者さんのラストシーンはことさら悲惨に描かれることが今でも多いが、それはあまり事実ではないのだ。
2, 動揺されるがん患者さんとそのご家族へ
話は変わる。次に私が書きたいこと、それは小林麻央さんの報道を受けて動揺されている、がん患者さんとそのご家族へ向けたメッセージだ。
もしあなたが、あるいはあなたの大切な人ががんにかかっていて、このニュースを聞いて落ち込んでいるとしたら。
確かに小林麻央さんは亡くなった。とても頑張っていらっしゃったが、最後にはそういうことになった。
しかしがんの性質や患者さんの病状というのは、人それぞれだということを知っていただきたい。
もし例え同じがんの同じステージであったとしても、同じ経過をたどるということではない。がんには生存率というものがあり、5年生存率は何パーセントとネットで調べればすぐにわかる。しかしそれはあくまでたくさんの人の結果を集計したもので、個人個人には大きなばらつきがある。つまりこういうことだ。大腸がんのステージ4だったある人は、2回の手術と抗がん剤で10年経った今でもがんの再発などなく元気だが、同じステージの別の方は3年で亡くなった、と。
だから、いたずらに動揺はしなくていいし、必要以上に不安に思わないでいい。これまで通り、主治医とよくお話をして、一緒に治療をしていけばいい。
がんの治療はまだまだ満足のいくレベルではないが、私を含む世界中のがんの専門家は日夜研究や治療に当たっている。わずかながら進歩もしているのだ。例えば30年前には大腸がんのステージ4の方は1年と生きられなかったが、今では3年以上生きる人も普通にいる。もちろんこれからまだまだ進歩は続いていく。
以上、2つのお話をさせていただいた。
みなが応援していた小林麻央さんの逝去で、心ざわめく人が少しでも楽になれますように。
がんの子どもたちが、「治療の終わり」を告げる鐘を鳴らすとき(動画)
2016年09月30日
がんの子どもたちは、化学療法に数週間、数カ月間、数年間さえ費やす。
だから化学療法の治療を終えることは、とても素晴らしいことなのだ。
アトランタにあるアフラックの小児がんのヘルスケアセンター(CHOA)は、この大切なひとときを祝う特別な習慣がある。患者たちが、自分の化学療法を完全にやり遂げた証として、「治療の終わり」を告げる鐘を鳴らすのだ。
「化学療法は、針を刺すような痛み、むかつき、嘔吐、体力の消耗、脱毛といったことを伴います」と CHOAの担当者はハフポストUS版に語った。
「私たちの勇敢な子ども戦士たちは、困難な時期を乗り越えたことを祝うために、鐘を鳴らして、激しくつらい闘いを終えた記念すべき節目を祝うのです」
どうか、この動画を見てほしい。この瞬間は信じられないほど感動的だ。
#ごめん、愛してる 미안하다, 사랑한다 (I'm sorry I love you) MV 日本語字幕~雪の華
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