#逝き方(10)... #人はどう死ぬべきか... #安楽死求める2人の日本人...

 病室の窓の向こうに、大きな海が広がる。海岸の近くにある病院で、個室のベッドから身を起こした女性はこう言った。

「このまま生きていても、寝たきりになって周りに迷惑をかけるだけ。だから私は、スイスに渡って安楽死をする準備を進めています」

 難病のため一語一語を確かめるようにゆっくりと発音するが、意識は明瞭だ。

 彼女の言葉を真剣な表情で聞くのは、ジャーナリストの宮下洋一さん(42才)。

宮下さんは、2年の歳月をかけて世界6か国を訪問し、2017年12月に安楽死に関する取材をまとめた『安楽死を遂げるまで』(小学館)を刊行した。

この9月、第40回講談社ノンフィクション賞を受賞するなど反響が広がっている。

 大島紺美さん(仮名・55才)は、安楽死のために海を渡ろうとする1人だ。

「今ここに医師が現れて、『この薬をのめば死ねます』と言われたら、私はすぐのみますよ」

 そう語る大島さんは、長く都内で翻訳者として活躍してきた。

彼女に異変が起きたのは42才の頃だった。

「だんだんと足が重くなって疲れやすくなりました。次に手から物を落とす、滑舌が悪くなる、ふらつくなど全身の症状が数年かけて進行し、大好きだったヒールの靴も足裏が痛くて履けなくなりました」(大島さん)

 早めの更年期障害と思い、3年前に念のため受診すると、医師がためらいながら「気持ちの整理が必要です」とつぶやき、次のように告げた。

「小脳に萎縮が見られ、多系統萎縮症(MSA)と思われます。今後は徐々に運動機能がなくなり、思考以外の機能が奪われ、やがて胃ろうや人工呼吸器が必要になるでしょう」

 それを聞いた大島さんが最初に心配したのは愛犬だった。

「私は病気になる前から安楽死に興味があり、自分の運命は自分で決めたいと思っていました。医師から告知された時は“ずっと独身で生きてきたし、病気で動けなくなるなら富士の樹海に入ってひとりで死ねばいいや”と思ったほどです。でも残される愛犬のことだけが心配でたまらず、結局、東京を離れて姉のもとに身を寄せることにしました」(大島さん)

 三女の大島さんは故郷に住む長姉とともに暮らし始めた。その後、病がゆっくりと進行する妹の世話を長姉と次姉が見続ける。

 現在の大島さんはすでに歩くことができず、腕に痛みがあって物をまともにつかめない。

前述したように話すことも不自由だ。

進行性の病のため、今後さらに体の動きが制限されていく。

昨年10月、愛犬が死亡すると大島さんの早く死にたいという気持ちは一層強くなり、自殺未遂を3度も繰り返した。

「愛犬が死んでからは生きる理由がまったく見出せなくなり、『夜眠れない』と医師を騙して致死量100錠の精神安定剤を入手しました。でもワンちゃんの写真を抱きしめながら100錠以上のんでも死ぬことができず、首を吊ろうとしたのも失敗しました。寝たきりになる覚悟と死ぬ恐怖を比べたら、寝たきりの方が断然怖いんです。寝たきりになって排泄の処理や経済的な負担まで姉たちにかけるのは耐えられません」(大島さん)

 妹が生き続けることを願って世話を続ける長姉と次姉は、たび重なる自殺未遂に大きなショックを受けた。

「未遂のたびに『何とか死なせてくれ』と叫ぶ妹を見て、3人でわんわん泣きながらいろんな話をしました。妹は幼い頃から自立心が強かっただけに、“これではいくら自殺を止めても、またやるな”と思いました」(大島さんの長姉)

 本人が安楽死を希望しても、家族が反対するというケースは多々ある。

大島さんの場合も、当初姉たちは賛成したわけではなかったが、あまりに苦しむ彼女を見て徐々に考えが変わっていった。

 そんななか、出会ったのが宮下さんの著書だった。


◆「日本に安楽死と言う制度は必要だとも思います」

「私の病気の最大の特徴は、生きるのが死ぬほど大変なのに、実際には死ねないことです。そんな状況で、姉が見つけた宮下さんの本を読むと、安楽死を行う海外の事例がたくさん出ていて、ひとつの光明のようでした。それで姉たちとも話し合い、スイスで安楽死をしようと決めました」

 大島さんがこう言葉を絞りだすと、2人の姉が涙ながらにうなずいた。

 今年の夏、大島さんは英訳した申込書をスイスのライフサークルに送付した。

返信はまだないが、申請が可能になり、体調などが許せば渡航するという決意は固い。

「もちろん世の中には、私と同じ病気になっても夢や希望を忘れずに生きている人がたくさんいるし、その人たちの気持ちは尊重されるべきです。ただ私個人としては、スイスで死にたい。日本に安楽死という制度は必要だとも思います」(大島さん)


宮下さんの著書を読み、ツイッターで連絡してきた田中裕也さん(仮名・49才)もスイスの自殺幇助団体に登録した日本人の1人だ。

田中さんは末期の大腸がんを患い、医師から余命半年と告げられた。

 今年初めの面会時、疲れやすい以外は痛みもないという田中さんに、「痛みがないのに、なぜ今、安楽死を希望するのですか」と尋ねると、こんな答えが返ってきた。

「それは逆ですよ。自分の意思で死を迎えるには、ある程度の体力が必要なんです。スイスに行ける体力がいつまで残っているかが最大の不安です」(田中さん)

 個人で事務所を経営する田中さんは離婚しており、子供はいない。在宅で抗がん剤治療をしながら身辺整理を始め、日本の病院で緩和ケアの申請もしたが、最大の希望は安楽死だと続ける。

「がんになってから、“いつ死ぬか”ではなく“どう死ぬか”をずっと考えてきました。

それはぼくにとって“どう生きるか”ということでもあります。

日本だと安楽死の話はネガティブにとらえられがちですが、自分には最大の生きる望みです。

ぼくは体が動かなくなって病床で死を待つ状態になるのが何よりも不安なので、安楽死という選択肢ができただけで安心できた。

スイスから申請資料が届いたときは、最高のプレゼントだと思いました」

 そう笑顔を見せた田中さんだが、今年の7月から彼と連絡が取れなくなってしまった。

 スイスの自殺幇助団体で外国人が安楽死を希望する場合、申込書などを提出して会員登録をした後、英訳の診断書などを提出し、医学的にも倫理的にも厳格な条件をクリアする必要がある。

「会員登録をしてもすぐに“実行”できるわけではありません。スイスでは『#死期が迫っている』『#回復の見込みがない』など安楽死を認める厳しい条件があり、医師と面会して質疑応答する英語力も求められます。渡航費用を含めて最終的に150万~200万円程度の費用がかかることもあわせて、日本人が安楽死をするハードルは決して低くありません」(宮下さん)

 難病に侵された大島さんと余命宣告を受けた田中さんは、ともにギリギリの状況で安楽死に希望を見出した。

ただし、この問題を考える際は日本と欧米の文化の違いを考慮すべきだと宮下さんは指摘する。

「“個人の権利”を尊重する欧米では、どう死ぬかは最終的に個人が自ら決定するという考え方が主流です。一方の日本は集団主義的で、“家族に迷惑をかけたくないから死にたい”との考え方が根強い。この違いは大きいです」

 今後、日本で安楽死の法制化が進む場合も、日本独自の文化に配慮すべきだと宮下さんは続ける。

「集団主義的な日本に個人主義的な欧米の思想をそのまま持ち込めば、高齢者や難病患者が末期状態でなくても、家族の看病の負担などを配慮して、“では死にます”と安楽死を願い出るケースが考えられます。家族や共同体の絆が伝統的に強い日本の場合は、自分の意思よりも家族の意見を気にして“そろそろ死んだ方がいいんじゃないか”と考えてしまう。

 日本は欧米と違って、死についての話題を家族でかわすことさえ憚られる。安楽死を議論する段階ではないと思う」(宮下さん)

 安楽死には賛否両論があり、簡単に結論は出ない。当事者とそれ以外では、考え方が大きく異なることもある。

 だが、超高齢化社会のなか、「#人はどう死ぬべきか」という議論を避けて通ることはできないだろう。最後に大島さんがこんな問いを投げかける。

「今は病室で姉たちが面倒を見てくれる。幼い頃に戻ったような幸福感はありますが、楽しいと感じることはありません。暗い未来しか待っていない今、たとえ笑っていても、毎日の生活に楽しさは全くないんです。私のような状態になった人間に、あなたはどんな言葉をかけますか?『頑張って生きて』とも『死んでくれ』とも言えないでしょう。かける言葉がないと思うんです。

 そういう人間がどう生きていけばいいのか。世の中の病気でない人たちにも、少しでも考えてもらえるきっかけになればと思います」

 彼女の問いかけを、どう受け止めるべきか。まずはそこから考えたい。

※女性セブン2018年10月11日号


[ICanSeeYourVoice2] Geojedo IU♡Kim Bum Soo, Sweet Duet EP.12 20160107


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