よく考えたい... あるケース(3) #変わる葬儀 #死の家族化 #死の個人化 #死の孤立化 #葬儀社選びで病院任せはNG...
民俗学の立場から、日本の葬儀と死の受容を見つめ続け、問題を提起する山田慎也先生の研究室から...
どうなる? 日本の「死」と葬儀
「日本では、死者は身近にいて、33回忌の弔い上げぐらいまではずっとそうです。
中国は、日本以上に死者の存在がリアルな世界で、来世もお金が必要だからいっぱいお金を燃やしてあげようとかいう意識が出てきます。
ベトナムのバイク。紙でできた模型です。要するに中国文化から影響を受けて、来世も現世と同じ道具が必要だっていうことで、今だとパソコンからスマホから、何から何まで持たせなきゃいけない。一緒に燃やしてあげるんですよ。ベトナムでは、バイクは必需品なので」
「さらにいいますと、ヨーロッパの人たちなんかにとっても、やっぱり死者は記憶の中の存在であり墓は重要ではないんです。
ただ、キリスト教では、死んだ人もいつか復活しなきゃいけないので、基本的に土葬。
もっとも、プロテスタント系は早くから火葬を認めていますし、カソリックも70年代にはやっとバチカンが火葬を認めました。だから今では、土葬へのこだわりは以前ほどではないようですね」
こういうふうに聞くと、葬式をあげて送った後で、墓参りをして手を合わせたり、何回忌だとかなんとか言っては供養して、死者を身近に感じてきた日本の社会は、それなりに特徴あるものなのだと思えてくる。
日本の葬儀はなぜ、どのように変わったのか
「ちょうど過渡期だったんですよね。つまり、自分たちでお葬式をやる。
儀礼の意味をよく知っている長老を中心にしてやって、葬儀社は祭壇に必要な荷物を置くだけというぐらいの関わり方から、葬儀社を中心にし、葬儀社が知識を与えてそれに従うという形へ。
ある意味、都市の当たり前の感覚への変化が、92年から97年ぐらいにかけて目に見える形で起こったんです」
「いや、むしろ周りの状況です。それはおれたちがやることじゃない、みたいに周りが引けていく。
ひとつ背景として言えることは、もう子どもたちは全員外に出ちゃってるんですね。
結局、世代的に、完全に外に出た人たちが喪主になってしまうんです。
そういう外に出た喪主にしてみると、何か聞くにしても、隣のおじさんではなくて、業者に聞くっていう、どこに依存するかが明確に変わってしまったっていうのがありますよね。
そうすると、村の親戚があえて香典を辞退するようにとか言い出すわけです」
香典を辞退……。これも、また、最近、よく聞くパターンだけれど、葬儀社仕切りの葬儀とセットになってやってくるとは。
「おじいさんのときは、香典を受けたと。
でも、これはどこでもそうなんですけど、香典っていうのは借金みたいなものだって、よく言うんですよね。
つまりいずれ返していかなきゃいけない。
ところが、おばあさんが亡くなった時点で、もう子どもたちは村の他の家の葬儀には出ないわけで返せないでしょう。ならば、香典を辞退しなさいってことになって、それで村との地縁的な関係が切れていく。その村で初めて香典を辞退する葬儀があると、その後、香典辞退っていうのが、急速に広がっていくんですね。
地縁的なものが崩壊して、ある意味、都市的な葬儀の様式っていうのが入っていくっていうのが、目の前で起きたわけです」
山田さんは、最初の意図の通り、自分たちが中心になって葬儀を仕切る時代から、葬儀社に一切のノウハウが移る現代的な状況との「間」の様子を見るこができた。
葬儀の変容で失われる「伝統」とは何なのか
死にまつわる儀礼が、日本全国でごっそりと「外注」されるようになって、ぼくたちの社会での死に対する感覚・意識は変わったのだろうか、と当然のごとく気になる。
「葬儀のシステムの変化が意識を変えたというよりは、社会の方向として大きな流れがあると思います。
例えば今から20年前にやった調査で、東京でも遺体を自宅に一たん病院から運ぶっていうのは、当たり前だったんです。
団地でエレベーターがないところでも、業者さんは抱っこして運んでいました。ところが、10年後に調査すると、直接葬儀場に搬送するのが当たり前になっていました。
理由は『家が狭いから』。
でも、家が狭くても、もしくは階段しかなくても、10年前はやっていたわけです。
なので、その理由は後づけでしょう。
葬儀のシステムが変わったことで、死者との接点が薄くなって、死を遠ざけるとか、遺体があると怖い、気持ち悪いとかっていう感覚も出てくる。
システムによって観念がつくり出されるところもあれば、そうしたものを忌避するって感覚の中でシステムができ上がっていくこともある。
不連続の連続、両方がずれながら連続していくようなイメージですね」
「地域であったり、親族であったり、日本の場合『家制度』という枠組みもあった中で、戦後は、会社まで含めて、さまざまなところが死者を送り出したり記憶したりしていく仕組みがあった。
それも時代によって、変わっていくんですけど、90年代以降になると急速に特定の血縁者というか、個人にしぼんでいく。
死者を記憶し追悼するのが、もう家族以外は基本的にはしなくていいっていうふうに変わったのが、大きな変化だと思っています。
例えば、家族葬という言い方も広まって、逆に今までつき合いがあったおじいさん、おばあさんが亡くなったときに、お参りに行けない。
行くと逆に負担をかけるんじゃないかって気をもむみたいな感覚が出てきていますね」
「また和歌山での調査での話ですが、死の知らせって、結局、お葬式の招待状なんですよ。
『お使い』『告げ』とかいいまして、おたくとは今後もつき合っていきますよっていう、ある意味、関係の確認なんですね。
それをもらった家は、今後もつき合っていくわけだから、それなりの香典も負担するわけです。
だから知らせる相手のリストアップは、すごい慎重に行われます。
葬儀には、招待って基本的になくて、要するに知れば行くもんだっていうルールが、近世以降できています。
もう数百年の歴史があって、江戸時代の中ぐらいからと大体考えられるんですけど、それが1990年代まで機能してたわけですね」
なお、社葬は、世界でも類を見ない、日本社会のオリジナルだそうだ。
それも、最近はめっきり減り、会社の創業者や社長が亡くなっても、社葬はせずにホテルで「お別れ会」をする方向に変わっているとか。
そのような傾向が「バブル後」に顕在化したのだとして、2010年代の今、葬儀はどうなっていると山田さんは見立てるのか。
「葬儀の小規模化が激しいですし、家族化・個人化というのが極端になっています。
また直葬といって、もう葬儀をやらない方法も出てきました。
特に、子どものない人は、親戚とかとふだんからつき合いがあればいいですけど、それもない場合、本当に遺骨の引取り手もいません。
関西は元々部分拾骨なので、すべてを放棄する人もいますが、関東はそれができない。
身元は分かっていても引き取り手がない場合は市町村が無縁として処理せざるを得ないのです。
また、あとは永代供養墓みたいなものが、今、急速に発達してます。
送骨といって、ゆうパックで送れるんです。
それで3万円とかで引き取りますみたいなお寺も、地方に出てきてます。
地方のお寺は、この前『 #寺院消滅 』という本が出たように大変なことになっているところがあって、そうしたところが営業ベースでやったりとか」
ここまで来ると、個人化というよりも孤立化、である。
亡くなった人も、送るべき責任を負っている人も孤立する。
受け皿が消えゆく日本の「死」とその行方
「結局、今まであまりに家族や親戚、地域でやっていたものが、急速に小さく個人化したときに、受け皿がないわけです。
でも、今の政府はあくまで家族で負担しなさいという流れらしいです。
特に今、保守的な人たちっていうのは、家族が重要だとか言いますけど、もう昔には戻らないですよね。今さら」
「日本の仕組みって、すごい便利なんですね。
最近、東北大の宗教学の鈴木岩弓(いわゆみ)先生も言っているんですが、どんなご先祖様でも33回忌で弔い上げて忘れていいんだと。先祖代々っていう言い方で覚えてるよ、だけど、個別の山田慎也は覚えてないよ、と。
その緩やかな忘却を、どう今の社会の中でつくっていくのか。
儀礼っていうのは、結局、ここまでやったから、死んだ人はもうこの世の存在ではなくて、違う人たちなんだっていうのを、みんなが『そうだよね』って認識していく作業です。
そのシステムが崩れたとき、死者を受け止めるのはあくまでも個人の作業になりますから、ある人は、いつまでも引きずってしまう。
ある人はもう、初めからいないもんだと進めていく。
この二極化が起きている。いつまでも個人の作業として続いていくという点では、本当に問題かなと思います」
「うちの祖母が亡くなったときのことです。私にとって衝撃的なことだったんですが、いよいよ出棺ってときに、祖母の姪が、一生懸命、棺桶の中の死んだ祖母の耳もとに携帯電話をあてるんですよ。すごい不思議だったんですけど、『お母さん、聞いてる? おばさん、これから出棺だから、おばさんに声かけてやってよ』って携帯に向かって言うんです。
自分の母親、つまり私の祖母の妹も足が悪くて来られないので、携帯を使って声掛けさせようとしていたわけです。
端から見ると奇妙なんですけど、死者に声をかけるってこと自体は、我々は当たり前にやってるわけですよね。
機械を使ってやったときに、何か奇妙な感覚なんだけども、死者に対してそういうことをやるっていうメンタリティっていうのは変わっていないし、重要なのかなと思って。それがすごい印象に残ってます」
人はなぜ遺影を飾るのか、動画は遺影になるか
「明治・大正の頃によく作られた葬儀写真集というのがあります。
1回の葬儀でひとつ写真集を作るわけです。
私、元々、別の目的で集めていまして、たぶん日本で一番のコレクターだと思いますけど。
たとえば、これなんか15代の住友家当主の葬儀写真集とか、明治36年(1903年)に亡くなった小説家の尾崎紅葉のものなんかが興味深いです」
今で言う遺影的なものはあって、上に戒名が綴られている。
ここにはなんの違和感もない。
ページを繰ると、壮健時、というキャプションが付けられた写真がある。
葬儀写真集に、元気な時の写真が掲載されているわけだ。
これも……分からなくないかもしれない。もしも、今、だれか亡くなった方を偲ぶ冊子を作るとしたら、壮健時の写真を掲載するのは充分アリだろう。
しかし、さらに進むと、ちょっと感覚が変わってくる。山田さんが指差す写真に、ぼくの目は吸い寄せられた。
「壮健時から始まって、次は『入院中』。しかも、今度は『退院後』。やせてるんですよね。で、『往生』まである。そして、『解剖』」
「このシーンって、何も尾崎だけ特別じゃなくて、他にもあるんです。
で、その後に、『葬列』があって、その次に『青山』。青山墓地ですね。
結局、葬儀写真集って、壮健の時から葬儀が終わるまでのプロセスを載せる。今でいう遺影もその1つだったんですよ」
「葬儀写真集には遺影も使われていますが、そこに何年何月と時間のキャプションがありました。もともと、葬儀写真集にはモデルがあって、江戸時代からある葬儀絵巻なんです。それが、写真を使うことで少しずつ違ったものになっていくわけです。そして、大正期になると、その時間のキャプションが落ちるんです。つまり、ある意味、生前から葬儀までも時系列を記録に残すことが、追善の目的だったのに、そこからいつの時点の写真かという情報が落ちる」
遺影である画像と、遺影ではないものの違いについて、山田さんはこんなエピソードを紹介してくれた。
「最近、面白いなと思ったのは、動画なんです。都内のホテルで行われたある会社の社葬の後の追悼パーティでのことです。16面のマルチビジョンに、亡くなった創業者の静止画が映されました。そうすると、経団連とか関係者のスピーチは、画面に向かってやるんです。
つまり、遺影として見てるんです。
ところが、途中で動画に変わっちゃった。
すると、2人目の人は、今度は聴衆に向かって話し出した。ところが、途中でまた静止画に変わっちゃうと、ああーみたいな感じで迷って。で、3番目の人は、また静止画の方を向いて話し始めたんですが、途中で動画に変わっちゃったら、何かすごい居心地が悪いみたいで……」
動画が死者の表象になりうるかどうか、というのは、また別のテーマかもしれない。
心に残った「死」の展示について
「役者が亡くなったときに出した浮世絵です。
面白いのは、基本的に死装束とか、死後の姿を想像して描くんですね。
やっぱり死後もこうあって欲しいみたいな、さっきの供養絵額と同じような世界があることです。
葬儀写真集にかわると、この文化は下火になる。
かろうじて昭和初期ぐらいまで続くんですけど。
最後は昭和10年の初代・中村鴈治郎です。
遺影になると、死後の存在とは言いながらも、あくまでも生前の姿なので、そのあたりで、死者に対するベクトルの向きが大きく変わったと」
今のことについては、あえて簡単に展示を変えられるように作っています」と山田さん。
ラックの中に入れる形式だから、新しい動きが出てきた時に簡単に変えられるようになっているわけだ。
現時点の展示の中では、樹木葬・散骨・手元供養といった、最近、よく聞く「送り方」を示すものが並べてあった。そして、特に目についたのは、なんと、トートバッグ。
「火葬場から遺骨を持って帰るときに、人に見られると不快感を与えるかもしれない、ということです。この感覚は、そんな古いもんじゃないんですよ。80年代ぐらいだと、電車とかで遺骨を抱いてる人は普通にいました。風呂敷にはくるんでましたけど。今はむしろ自己規制で、骨壷を持っていると分かる状態で歩いたら、まわりは嫌なんじゃないか、と。それで、こういうトートバッグの需要が出てくる。つまり、死者を隠す、自分以外の者はもう嫌なんだっていう感覚です。これはやっぱり社会的に『死者がいる』という感覚が、急速に狭まって、家族以外はもう嫌だというのとつながっていってるという点で、あえて展示したんですね」
再び、死への感覚についての、現代的な課題が出てきた。
死が、葬儀が、家族化、個人化、孤立化する21世紀、山田さんが関わってきた民俗学的な知見をどれだけ活かしていけるだろうか。知らなかったことをさまざまに可視化していただきつつ、重たい課題も同時に可視化され、ぼくたちに投げかけられたのだと思う。
葬送や墓の流行、150年の大転換期 葬儀の“価格破壊”最前線
2016/9/26
今や、葬式や墓の多様化が急速に進み、「エンディング産業」は激しい勢いで進化し続けている。“価格”も例外ではない。
かつては“ドンブリ勘定”が当たり前だったという葬儀の世界に「価格破壊」が起こっている。
ある葬儀業者によれば、一般的な葬儀一式の価格は150万~160万円程度が相場だという。
日本消費者協会の「葬儀についてのアンケート調査」(2014年1月)によると、葬儀一式に飲食接待費、寺院への費用を合わせた葬儀費用の合計の平均額は、約189万円で、03年の約236万円から2割減っている。
葬儀といえば、宗教行為であるお布施や戒名授与に事前に金額を明示しない慣例もあり、総額でいったいいくらかかるのかがわかりづらいと指摘されてきた。
そんな中、近年出現してきたのが、事前に葬儀一式の費用を明示し、格安プランなどをそろえたタイプの業者だ。
事業立ち上げ当時は葬儀社のレビューサイトを運営していたという「#みんれび」(東京都新宿区)もその一つ。
同社が提供するサービス「#シンプルなお葬式」は、一般葬が49万8千円。
さらに、通夜を行わず告別式だけ行う「一日葬」が27万8千円、通夜も告別式も行わず、火葬場で行う「火葬式」が14万8千円と、格安のプランも提示している。秋田将志副社長兼COOがこう語る。
「全国に約7千社ある葬儀場の稼働率は実は30%程度。
弊社はその稼働していないホールを使い、パッケージ化したプランとして葬儀を行うことで低価格を実現しており、サービスの質は他社に劣りません。
ネットが普及したことで消費者側のリテラシーが高まり、これまで知られていなかった葬儀の値段も手軽に検索できるようになった。
スマホがあれば、たとえば病院からでも検索できます。そうした時代のニーズをくみ取ったサービスだと考えています」
同社は13年から全国一律総額3万5千円で法要などに僧侶を派遣する「#お坊さん便」のサービスを始めた。
15年12月からはネット通販サイト「アマゾン」で手配チケットの販売を開始。
これに対し、伝統仏教の各宗派が加盟する全日本仏教会が「宗教行為を定額の商品として販売することに大いなる疑問を感じる」と販売停止を申し入れるなど、物議を醸している。
前出の秋田副社長はこう語る。
「既存の檀家(だんか)さんとお寺との関係を崩そうなどとは考えていません。
ただ、日本人の宗教観が変わってお寺との関係も薄れていっている一方で、やはり習慣としてお坊さんを呼びたいという方はいる。
そうした方に対して、手段を提供しようという考え方です」
こうした動きが示すように、今、葬儀や墓にまつわる新サービスが次々と生まれ、さながら「エンディング産業ブーム」の様相を呈している。
「今は100年から150年周期で訪れる葬儀やお墓の流行の転換期です」と語るのは、日本葬祭アカデミー教務研究室代表で、葬祭カウンセラーの二村祐輔氏だ。
二村氏によれば、日本人の葬祭の形はこれまでも土葬から火葬へ、個人のお墓から家族のお墓へなどと、時代ごとに変化してきた。
そして今、再び大転換期を迎えているという。
「団塊の世代の多くは田舎から都会へ出てきて、故郷が違えば両親それぞれのお墓が別々の地域にある。
両家の墓をまとめて都心につくり直したいという需要が増えた。
ところが都心は深刻な墓不足で、都心の寺院では数百万円から1千万円超になるほど墓の価格が高騰。
郊外の公営墓地もどこも満杯で、遺骨を家に保管したまま途方に暮れている人も多いのです」
確かに、都心の墓不足は深刻なようだ。
8月25日に発表されたばかりの東京都立霊園の今年度の抽選結果を見ると、都立多磨霊園の一般墓地はどれも倍率2~3倍。
同園敷地内にある遺骨の長期収蔵施設「みたま堂」は30の募集に対して968件の応募があり、倍率はなんと約32倍だ。
都立小平霊園が12年から募集を始めた自然葬式の合葬墓地「樹林墓地」は、遺骨1体用の生前申し込みで募集88に対し1768件の申し込みがあり、こちらは約20倍だ。
政府が進める地方分権の流れの中で、12年4月、それまで都道府県や中核市が担っていた墓地の経営許可などの権限がすべての市に移譲されたことも、墓不足に拍車をかける結果となっているという。
全日本墓園協会の横田睦主任研究員がこう語る。
「都道府県の権限ならば人口の多い都市の住民のための墓を郊外につくるという判断もできるが、市単位では住民の反対運動の影響なども受けやすく、新規の許可を出しにくい。制度上の問題で、墓が供給不足に陥ってしまうのです」
こうした状況がある一方、仏教界では不動産開発が盛んだったバブル時代から、ビジネス的な分野に積極的に乗り出す寺院が出てきた。
そうした寺院が「墓不足」という消費者のニーズをすくい取り、現在の「ビル型納骨堂」など新たな「お墓ビジネス」が出現。
近年は海洋散骨や樹木葬などの自然葬や、遺骨の一部をペンダントに加工したり、小型の骨つぼを自宅で保管したりといった「手元供養」など、さまざまな形の弔い方が生まれてきた。
このまま葬儀やお墓の作法は“何でもあり”になってしまうのか。前出の二村氏はこう語る。
「私は揺り戻しがあると考えています。深く考えず親の遺骨を散骨してしまった遺族が、一周忌を迎えて親戚から『法事はやらないの?』と聞かれて困ってしまう。
そんな相談が実際に私のところにも来ます。
自然葬の人気が高まっているとはいえ、やはり日本人は供養に何らかの『実体感』を求めている。
となると故人の遺骨か遺髪が必要ですが、やはり永年残るのは遺骨。遺骨があると、残された人たちは安心感を感じるようです」
たとえお墓がなくても、日本人には「骨」へのこだわりがあるのだろうか。
合葬や散骨でも、遺骨の一部を少量残しておいて、ペンダントなどに入れる「手元供養」と併用する例が出てきている。
「現代は良くも悪くも葬送がビジネスとなり、選択肢が広がるが、やみくもに安さを追い求めるのではなく、『葬祭リテラシー』を持って、故人の送り方を考える時代が来ているのです」(二村氏)
ビートたけしのTVタックル
2017年2月19日 170219
魂を送り出すフィリピン式の葬儀
古来よりフィリピンでは、死者を送るための儀式を特別に重んじてきた。
フィリピン大学ディリマン校の人類学者ネスター・カストロ氏によると、誕生や結婚の儀式よりも、死にまつわる儀式の数の方が多いという。
葬儀の場では、様々な儀式が執り行われる。
壺を地面に叩きつけるのは、死のサイクルを断ち切り、後を追ってさらなる死者が出るのを防ぐため。
帽子やたばこなど死者のお気に入りだった身の回りの品を棺の中へ入れるのは、死後の世界へ一緒に持って行けるようにという願いから。
出棺の時には、棺を3回まわして死者の魂を混乱させ、家へ戻ってくるのを防ぐ。
葬列に加わっている人々は、あの世への通行料として道に硬貨を投げる。
埋葬前に、棺の上で子どもを受け渡しすると、死者の魂が生きている人々に憑りつくのを防ぐことができる。
そして死後3日が経つと、魂は残された家族の誰かを訪れると信じられている。
この訪問は『パキラムダム』と呼ばれ、それによって死者の魂がどのような状態にあるのかを遺族たちは知ることができる。
とりわけ、その死が突然で異常だった場合、遺族は魂の訪問を強く心待ちにする。
インドネシアのスラウェシ島に暮らすトラジャ族の人々は、家族を失った悲しみを、遺体に寄り添って和らげる。彼らにとって死は必ずしも別れではない。
NHK クローズアップ現代+
あなたの遺骨はどこへ ~広がる“ゼロ葬”の衝撃~
20160921
葬儀社選びで「病院にお任せします」はNGワード...
喪主はかつて長男が務めるものだったが、戦後、家制度がなくなり、故人のいちばん身近な人が務めるものに変わっている。
配偶者、親…大切な人の死には、誰しも気が動転するだろう。
しかし、悲しみに浸っている暇は喪主にはない。喪主はとにかく忙しいのだ。
まず病院で亡くなると、数時間以内に遺体を外に運ばなくてはいけない。
エンディングデザインコンサルタントの柴田典子さんはこう話す。
「葬儀社の大切な役割の1つが遺体を安置するということです。葬儀社を決めていないと、病院に紹介される会社に決めて、そのまま葬儀までお願いしてしまうケースが多いです」(柴田さん)
ポータルサイト運営会社『鎌倉新書』の調査(※)によれば、葬儀社の決定は、死亡から4時間未満に行う人が約半数。
この短い時間で大切な人を見送るパートナーを決めなければいけない。
※(株)鎌倉新書「いい葬儀/第2回お葬式に関する全国調査」(2015年)より。
2015年12月に2年半以内に葬儀を行った経験のある全国の40才以上の男女にインターネットで調査したもの。有効回答数は1851件。
「できれば、生前に決めておきたい。元気なうちに葬儀社を見学しましょう。その際、事務所が整理整頓されていないところはおすすめできません。そういう葬儀社は、施設全体だけでなく遺体安置所の清掃も行き届いていない可能性があります」(柴田さん)
そして、何より心配なのが葬儀費用だろう。
前出の調査によると、全国の平均的な費用は、約119万円。
それこそ上は数百万円から下は数十万円までピンキリ。請求書を見て仰天という事態も珍しくないのだ。
まずは複数の葬儀社に見積もりを出してもらおう。
「その際のNGワードは『お任せします』です。
どんな葬儀をしたくて予算はいくらなのか決めておく。葬儀社の言いなりには決してならない。あとで揉める原因になります。また、見積もりの中には、最低限の金額だけが含まれていて、後から別精算を求められることもあります。どんな料金が含まれているか詳細を確かめてください。特にお花代は含まれていないことが多いので要注意です」(葬想空間スペースアデュー代表取締役・白井勇二さん)
見積もりの際は、必ず「別精算なしにすべて含めた費用を出してください」とはっきりお願いしよう。
「もし生前に決まっていなかったら、遺体搬送までは病院に紹介された業者にお願いして、葬儀は別の葬儀社を探しましょう。複数の業者に見積もりを出してもらう時間はありますから」(柴田さん)
※女性セブン2016年4月28日号
Gummy - I Love You Even If I Die
0コメント