#自立支援(10)... #家も仕事もない若者たちが流れ着く貧困村... #劣悪シェアハウス.... #足りない生活費は体を売って補う日々...
夏のある夜、記者は千葉県某所で非正規社員の20代男性を取材することになっていた。
指定された場所はターミナル駅から車で約40分の社員寮。
彼は国道沿いにある建物に住んでいるという。
車を走らすと次第に駅周辺のにぎやかな風景は消え、いつしか山林と点在する民家だけが続く殺風景な場所になってきた。
ナビを頼りに指定された場所に到着。
するとそこにはあったのは、おおよそ社員寮とは思えない、相当な築年数であろう平屋建ての民家だった。
「足元が暗いので気をつけてください」と、記者を出迎えたのは建設会社で働く大野守さん(仮名・28歳)。
周囲には街灯もほとんどなく、民家の玄関から漏れる光がやけに眩しく感じられる。
中に入ると、そこはなんと土間。
さらに奥には畳の居間が広がり、存在感のある仏壇や神棚、壁には先祖代々の遺影まで掛かっていた。
思わず「本当は実家じゃないんですか?」と聞けば、「いえ、社員寮ですよ。といっても僕しか住んでいませんけど。移ってきて半年になります」と続ける。
疑問は膨らむが、まずは彼がここに住むようになるまでの話を聞いた。
北海道出身の大野さんは有名私大への進学を機に上京し、2年前までは都内でアパート暮らしだった。
卒業後は法科大学院に入学。弁護士を目指したが、受験制限の3回目の試験も不合格になり、法曹界を諦めることになったという。
「一番ネックだったのは、アルバイトで十分な勉強時間が取れないこと。僕は800万円もの奨学金を借りていたので、生活費はすべて自分で稼がないといけなかった。周りの合格者にはそんな人いませんよ。今となっては経済力に足を引っ張られたんだと思います」
その後、一般企業への就職活動をするも十数社を受けて全滅。
悩んだ末に警察官を志し、試験合格を経て警察学校に入ったという。
「けど、体育会系気質に全然馴染めなかった。特に寮生活は地獄で、2か月でやめてしまいました」
退寮期限が間近に迫った当時、ネット求人で見つけたのが現在勤める建設会社だった。
非正規雇用ではあるものの、それを差し引いても魅力だったのが「寮完備・住居費ゼロ」という点。
「引っ越し代どころか貯金もまるでなかったので、すぐに飛びついた」と話す。
しかし、入社初日に寮へ案内された彼は、絶句することになる。
「なんだここは……と。僕も最初はアパートだと思っていたんですよ。
聞けばここは長年放置されていた空き家で、今も登記上は元の家主の持ち物だそうです。
相続でモメて放置されていたのを、ウチの会社が固定資産税を肩代わりすることを条件に、行政から寮にするのを許可されているんだって」
空き家密集エリアが新たな“ドヤ街”になる
大野さんによれば、この地区はもともと空き家密集エリアで、それに目をつけた地場の建設会社が社員寮として転用を進めているという。
そういった会社は複数存在し、彼の同僚だけで30人以上が周辺の空き家に住んでいるそうだ。
「僕らは毎朝5時に近所の神社に集まり、そこでバスに乗り込んで解体現場に向かいます。寮に住んでいるのは20~30代の男ばかりですね。高校中退者や借金がある人、無職で家を追い出された人とか、なにかしらの問題を抱えて流れてきている。
普通の住民もいますけど、この界隈は僕らみたいな人のほうが多いくらいなので、まるで“ドヤ街”です。
最近は若い女性を見た記憶すらないけど、遅くまで続く現場仕事で疲れ果てていて、それすらどうでもよくなってます」
若者の大半は関東近県出身で、みんな一様に経済的に困窮し、住居費ゼロに惹かれて応募してくる。
よく見れば軒先で作業着などを干している家も多く、こうなるともはや「貧困村」とも呼べる状態だ。
そして大野さんの会社では管理職以外、ほぼ非正規雇用だという。
「昇給もなく、みんなだいたい手取り20万円ほど。そこから年金や保険料、携帯代、さらに奨学金の返済月5万円を引くと遊べるお金はほぼ残りません。といってもここではお金を使う手段がないので、それでも貯金できますけど」
周囲にはコンビニも飲み屋もない。
最寄り駅までは徒歩で2時間近くかかり、1時間に数本のバスが唯一の公共交通機関だ。
車を所持している同僚も少数だという。
「朝食はバスが寄るコンビニで買い、昼飯は支給されるほか弁。夕食は台所の床が腐っていて調理できないのでカップ麺ばかりです。夜中もハクビシンが屋根裏を走り回ってて寝られないんですよ……。こんな場所に住んでいると知られたくないし、友人や家族ともまったく連絡を取らなくなりましたね」
空き家対策とはいえ、人里離れたへき地に隔離された若者を生んでいるという側面があるのも事実。
彼らが抜け出す日は来るのか。
「家が貸りられない…」劣悪シェアハウスに住む25歳男性の貧困上京物語
貧困に抗う若者たちの「再出発」に密着。家や職を求めて、貧困から抜け出そうとしている若者たちを、どのようなハードルが待ち受けているのか。
再起を願う彼らに同行し、その姿を追った。
「誰も家を貸してくれない」劣悪な住環境でもがく若者
「足が伸ばせて雨風がしのげればそれでいい。誰か家、貸してください」
ルームメイトを探すネット掲示板である日、こんな書き込みを見つけた。
募集をかけていたのは上京したばかりだという25歳の男性。会って話を聞くと、地方の飲食店で契約社員として働いていたが低賃金での苦しい生活に嫌気が差し、単身上京したという。
「とにかく家が見つからないんです」
開口一番、関谷誠さん(仮名)は悲痛な声を漏らした。
「上京した日にバイトの面接を受けて、家も決めていたんですが『働いていない人にはやっぱり貸せない』と突然大家さんから連絡があって。
いくら『働く予定です』と言おうが、遠方の両親に保証人になってもらうと説明してもダメでした。
上京して3週間、都内のネカフェを転々としながら家を探しましたが何軒回っても審査の段階で落とされる。
東京に住むのがこんなに難しいなんて」
手持ちのお金はわずかで、節約のためにネットカフェの有料シャワーは1週間に一度に抑え、主食は保存が利くカロリーバーを食べて飢えをしのいだ。
約1か月間で体重が10㎏も落ちたという。
「家がないとバイトも見つからない。だから『屋根があればどこでもいいや』と、今のシェアハウスに転がり込むことに。
光熱費込みで月3万円という破格な物件なんですが、住んでみたら地獄だった。
自分のスペースはベニヤ板で囲われた二段ベッドの一角だけで、洗濯を干すのもベッドの上。ホコリと湿気で体を壊しそうです」
「まあ、今は寝床があるだけマシなんで、根気強く探してみますよ」
その背中からは、まだ東京に希望を抱いている様子が見てとれた。
生活保護の29歳女性が卵巣がんに…足りない生活費は体を売って補う日々
「奨学金を借りないと大学に行けない」「仕事は非正規」「お金がないからずっと実家に住んでいる」――
こういった状況を、あなたは“普通”だと思うだろうか?
若者の貧困化が叫ばれて久しいなか、当事者たちが頻繁に口にする「自分が貧困だとは思わなかった」という声。
我々は一体、彼らの状況をどれだけ理解できているのか。ここではあるエピソードを紹介しよう。
生活保護受給中にがんが発覚。足りない生活費を売春に頼る
10代の頃から水商売を転々としてきた黒田沙紀さん(仮名・29歳)は、摂食障害で働けなくなり、4年前から生活保護を受けている。
とはいえ、ずっと保護にすがるつもりはなく、体調と相談しつつスナック勤務も始めていた。そんな矢先、彼女はがんであることが判明する。
「かかりつけの病院で診断を受けたら、卵巣がんのステージ1だと。それで3か月後には手術をすることになったんです」
そのことを、妻を同じ卵巣がんで亡くしたスナックの客に話すと「ダメだ。一刻も早く手術したほうがいい」と断言されたという。
そこで、もう一度診察を受けようと別の病院を訪ねた。
だが、そこでは生活保護受給者の決まりで、診断を受けられなかったという。
「実は、生活保護受給者には同じ病気でセカンドオピニオンを求めることが許されていないんです。それでガン患者の相談を受けるNPO法人を訪ねて、違う病名で紹介状を書いてもらう方法を知りました。そうして再度向かった病院で出された答えは、即手術。子宮全摘出でした」
すぐに手術チームが編成され、無事に手術を終えた彼女だが、それで万事解決ではない。
「それから約1年、再発に怯えながら抗がん剤治療の日々です。ただ、私は癌保険にも入っていなかったし、もし生活保護の受給がなければ、最低でも数百万円の借金を負うことになる。そう考えるとまだついていたのかも」
抗がん剤の副作用で髪はすべて抜け、退院後にスナックで働くことができなくなった黒田さん。今は生活保護だけでは足りない生活費を援助交際で補っているそうだ。
「髪のないコとしたいと思う男はまずいません。だからこの髪、エクステなんですよ。稼いだお金も結局ほとんどエクステ代に消えてしまう。一体、何のためにこんな生活を送っているんでしょうね」
[MV] Yang Da Il(양다일), Hyorin(효린) _ And Then(그리워)
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