#今ドキ事情(2)... #選択的な愛人の立場を手放さず... #高学歴高収入の女性の生き様...

#Bランクの男に本妻に選ばれるくらいならAランクの男の愛人でいる!!!

なぜAランクの男の本妻になるという選択肢がないのか

彼女の言い草は結構的を射ているのだが、よくよく考えれば変なのだ。

なぜAランクの男の本妻になるという選択肢がそこにないのか。

そもそも上智大卒でカナダ留学も経験し、学生時代にラウンジで人気を得るくらいには結構美人で、父は東北で県庁勤め・母は音楽教師という家柄は、ものすごく特殊な運命に導かれなくとも、別に彼女のカレシレベルの、つまり権力と財力が十分にある男と結婚するというのは、非現実的な選択肢ではないような気がする。

 ただ、そこには彼女なりのロジックがある。

彼女の持論は、「女でも、現代的な意味で正しい道を必死で生きていると、気づいたら30歳は過ぎている」。

曰く、学生時代に若さの勢いに任せて初体験の相手と結婚するか、よほど結婚を強く望むという特殊能力があるか、よほど強力に結婚を勧める協力者(母親など)がいるか、切羽詰まった理由があるかでもしない限り、結婚を自分ごととして考えることはない。

したいとかしたくないとか以前に、いつかするかも知れないけど今のところは自分から遠いものとして思いっきり漠然としているし、手持ちの彼氏との想像できる未来よりも、自分の未来はもう少し可能性に溢れて見えている。


己を一人前とみなせるように必死に生きてきた

 少し仕事にも慣れてきて、友人との夜遊びや休日の買い物・旅行以外の人生に考えが及ぶようになるのは、自分の専門分野で働き出して少なくとも5年、多くは7~8年経ってから。

彼女の場合はコンサルタントとして働き出す前に、上智大学を出た直後は航空会社に勤めたり、秘書職に就いていたりしたため、気づいたら32歳独身で、いつからか挨拶のように「いい人いないの?」と言うときの両親の瞳が、興味から心配に変わっていたらしい。

別に恋人がずっといないわけではなかったし、結婚はしたくない、というはっきりとした思想があったわけではない。

社会人としての毎日をまっとうし、独り立ちできる仕事を覚え、必要な資格のために勉強したりハクをつけるために留学したりして、なんとか自分の専門分野と呼べるものを作り、後輩たちに教えることもいくつか持ち、なんとなく己を一人前とみなせるように必死に生きてきた。

 当然、彼女自身にキャリアと肩書きと多くの話題が加わったことにより、もともと若干高飛車な性格は増長され、恋人に求めるものも、自分に見合うと考えられる相手も変わってゆく。

彼女はラウンジ時代にはお金と肩書きにしか見えなかったお金と肩書きをふんだんに持つ男たちを、人として認識するだけの良識と、彼らの本来的な魅力に興味を持つようになったし、彼らもまた若くて可愛いのその先にある彼女をちゃんと尊び敬い、彼女の成功を喜んではくれた。

そういった立場はラウンジ嬢として愛でられた頃に引けを取らないレベルで彼女を満足させるものだったが、長い間、自分よりずっと先にいると思っていた彼らには自分と同年代の、或いはもっと歳下の妻や子供がいることに気づいたのもその頃であった。


ラウンジガールと敏腕コンサルの間に契機があったのか

 彼女の物語など、仕事に夢中になっていたら婚期を逃した、というオーソドックスなバリキャリ系女の話にしてしまえるのだが、ことはもう少し根深いような気もする。

別に彼女はバリキャリの自覚などないだろうし、むしろ当初は航空会社や弁護士秘書を転々としながら好きな仕事を探していたくらいだし、一体いつソレを通り過ぎてしまっていたのか、本人としてもよくわかっていない。

 ラウンジガールと敏腕コンサルの間に契機があったのか、或いは選ぶべき分かれ道があったのか。かといって外資系のコンサルタントファームでお尻に痣ができるほど働く彼女には、今から婚活に手を染めることも、万が一それがうまくいって、男と子供とまかり間違えば姑の世話をすることも、あまりに非現実的で、21歳の時に参列した友人の結婚式を見たときに感じた距離感はほとんど変わらず、今も結婚も出産も子育ても、なんとなく大人になったらするものかも知れないけど今のところは現実味のないハナシ、という域を超えていない。年が明ければ35歳、高齢出産の年齢に入る。


今の彼女は選択的な愛人の立場を手放さない

 何も彼女は既婚男性との淫靡な逢瀬に溺れているとか、或いは結婚への軽めの絶望を持って不倫に甘んじているとか、そのような日々を送っているわけではない。

ごく自然に、現代のある種の女性が当たり前にそうであるように生きた結果として、ごく自然に恋人が既婚者である。と、同時に男をAランクBランクと分けるまでもなく、今の彼女は選択的な愛人の立場を手放さないようにも思う。

 彼女のお相手は年上で、魅力的で、成長中の会社と盤石な家庭を築いてきた自負があり、彼女は一抹の寂しさを引き受ける対価として一切の煩わしさを放棄する自由を手にして、軌道に乗り出した自分の仕事も、友達付き合いも、自分の親との付き合いも、ある程度自由な夜も、楽しんでいる。

それは一時しきりにテレビや雑誌で糾弾されていたような不倫の悲壮な罪深さとは無縁のようにも見えるし、むしろお互いの人生を背負い込むための助走をつけているような恋人同士よりずっと穏やかで破綻のない関係のようにも見える。


当事者たちもまた、全面的に肯定されることなど望んでいない

 別に私は世のおじさま方と妙齢の淑女の皆様に不倫のススメを唱えたいわけではないのだが、あれだけブームを過熱させておいて、結局、「不倫は良くないよね」「でもテレビでギャーギャー騒ぐようなことでもないよね」「必要悪とも言えるよね」「文化と言った人もいるしね」「ばれずにやってほしいよね」という以上の発展が何も見えないことにはちょっと違和感がなくもない。

 そう、スポーツ界を中心に相次ぐパワハラ報道に押されて、一時は呑気なこの国のお茶の間の話題を独占していた有名人の不倫疑惑というものはすっかり影を潜めている。

できればごくごく身近な人にさえ明らかにせずに死んでいきたいであろうプライベートな領域を、身近でも知り合いでもない世間につまびらかにして見せたその報道ブームは、結局一つ目の衝撃を超えることなく追随し、飽きっぽい人々にthat’s enoughと言われて収束した。

それ自体は、ある意味健全なことだし、飽きっぽいと同時に忘れっぽい人々は、空襲が去った後の野原に出るが如く、始めこそ少し慎重に様子を見てはみるものの、そのうち過熱した温度など忘れて、また楽しく不健全な不倫に勤しみ出すに決まっている。

結局、不倫についてのスタンスなど、変わらず曖昧なままに。

不倫はなぜ罪深いのか、不倫にはどんなパターンが多いのか、不倫をどのように分類できるか、どうして不倫はこれほど人の関心を惹きつけるのか、と書き進め、結局どんなに頭と視点を回転させても、不倫はよろしくない、というごく一般的な規範を凌駕するほどの斬新な切り口など見つからないこともよくわかった。

 そして何より、不倫に溺れる多くの当事者たちもまた、別にその事実を世間に全面的に許され、肯定されることなど望んでいないのだ。

深夜にひっそりと手を伸ばして摘むチョコレートのように、普段よりちょっと自分に甘くなった感覚でその罪を人知れず愛でる。

そういった意味で不倫についての議論は売買春についての議論と少し似ている。

それがどんなに幸福をもたらすか、それがどんなに求められているか、といった主張は、善悪の判断を超えることがない。


愛人は家族を中心として形成される社会の脇役

 ちょっとした火遊びや好奇心、あるいは純然たるアルバイトとして経験するものだった既婚男性との付き合いは、冒頭で紹介したコンサル会社の友人ら周囲の女性たちを見るに、もう少し生活に根付いた切実なものに変質している。

それぞれが独自の理由を持って、世間的に肯定され得ないその小さなチョコレートを自らに許している。

 彼女たちを庇う言葉を私は持たないが、少なくとも米国とも欧州とも違った家族の形態を理想とする日本において、なぜ彼女たちが彼女たちであるか理解することはできるような気がする。

 愛人は家族を中心として形成される社会の脇役である。

仏映画や米ドラマに登場する家庭に比べて、日本で例えば日曜の夕方のテレビで描かれる家族像は実に非性的で、ドラマチックさに欠け、キスやハグよりも夫が妻をお母さんと呼ぶその姿に美徳がある。

どんなに社会規範のグローバル化が進もうが、どんなにかつての専業主婦像が現実と乖離していこうが、結局時代の変化に男の好みが付いていっていないのか、或いはその家族像は世界標準に是正されてしまうほど脆弱なものではないのか、何れにせよ未だに「良き」家庭というものに対する幻想が根強いのが現状で、それでも教育制度から雇用法の変革を経て、確実にその家庭像の中にそぐわない種類の女たちが量産されているのも事実だ。


サザエさんにもドラえもんにも出てこない

 少なくともサザエさんにもドラえもんにも出てこない彼女たちは、いくつかの脇役としての生き方を模索する。新しい家族像を模索するものもいれば、歳下の男を子飼いにするものもいる。

恋人との付き合いと別れを短期間に繰り返すものもいる。

そして既婚男性との本妻ではない関係に陥っていくものもいる。

それは清潔な家庭を持つと同時に安定した性と刺激の供給を欲する男の需要と綺麗にマッチして、奇妙なバランスを保っている。

 男の本能を持ち出しての無理矢理な肯定も、みんなしているからという開き直りも、不倫は愚かな行為であるという事実を覆すことはない。

それでも愛人の印象がいつまでも更新されず、漠然とした悪でしかないのであれば、それを過剰に恐れて憎むような不毛なことに時間を取られるままのような気もする。

熱が冷めた報道の間隙を縫って、彼女たちの流儀や美徳について考えたいと思ったのはそのせいだ。

 不倫は愚かだが、不倫を恐れ糾弾し、あるいは恨むということも実は同じくらいに愚かなことであるということは、知るに値すると私自身は思っている。

性の匂いを排除した、愛らしく平和で盤石な家庭を良しとする日本に生まれた、一介の脇役として。

2018年12月2日 文春オンライン (鈴木 涼美)

Ft island -I'm a foolish person sub. esp.


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