「#ひとり○○」が好きなソロモンたち... #だからひとりが好き #独身男性 ≒ #ソロ男... #「バツ2、子持ち」男を選んだ女性の #晩婚活 !!!
「独身男性」⇔「ソロ男」ではない!!!
ソロ男とは、基本的に20~50代の独身男性を指しますが、それならば、わざわざソロ男なんて言葉を使わずに、「独身男性」でよいではないか?というご意見ありました。
しかし、全ての独身男性がソロ男であるわけではありません。
一口に独身男性と言っても、色々な人がいます。
例えば、「働いている人」と「働いていない人」とでは、生活レベルも意識も異なります。
同様に、「一人暮らしの人」と「親元で暮らす人」でも、家賃を自分自身で払っているかどうかで生活形態が大きく変わります。
結婚観にしてもそうです。
「結婚したいと思わない人」と「結婚したいと思っている人」の2種類が存在します。
「有職なのか・無職なのか」
「経済的に自立しているのか・親に依存しているのか」
「結婚意思があるのか・ないのか」
といった違いは、毎日の消費の意識や行動面で大きな違いとなって表れます。
白と黒くらい違うといっていい。
一人暮らしなら、家賃だけではなく、日々の食費も自分で払わなくてはならない。
こうした男性を、同じ独身だからといって、親元暮らしで家賃も食費も払わない独身男と同列に扱うのはどう考えてもおかしいわけです。
独身男性の中で、ちゃんと働き、経済的に親に依存もせず、結婚する意思が“現在”ない男。
これらすべての条件を満たしている男を、ソロ男と呼びます。
よって、ソロ男には、ニートや親の年金に依存する「#年金パラサイト人」は含みません。
ソロ男に対して女性が抱くイメージは、とても厳しいものです。
Q「いつまでも結婚しないで未婚のままの男性をどう思いますか?」。
そんな質問を女性に投げかけるとたいてい次のような言葉が返ってきます。
「貧乏なんでしょ?」
「オタクなんでしょ?」
「コミュ障なんでしょ?」
「マザコンなんでしょ?」
「潔癖症なんでしょ?」
「ブサイクなんでしょ?」
これでもかっ!というほどネガティブな言葉のオンパレードです。
要に「どこか人間的に欠陥がある人」が、世間における「結婚しない男」のイメージです。
生涯未婚率が過去最高を記録し、未婚化・非婚化がニュースで取り上げられているにもかかわらず、「結婚するのが当たり前」という価値観は相変わらず根強いようです。
結婚の幸せを知らないなんて「かわいそう」?
ところで、こうしたソロ男たちに対し、「結婚しないと強がっているけど、それは後付けの結果論。結婚できなかった自分をごまかしているだけだ。結婚して子どもを持つという本当の幸せを知らないなんてかわいそうだ」。
そんな意見もいただきます。
結婚して暖かい家庭を持つ幸せを否定はしません。
しかし、幸せの形は人それぞれです。
何に関心を持ち、何にお金と時間を使い、それによってどう幸せを感じて生きていくのか。
ここに絶対的な正解はありません。
「生きる価値観」は人それぞれです。
一人を寂しいと感じる人もいれば、一人でいることに安らぎを感じる人もいます。
ソロ男が結婚しない理由のひとつに「自分のためにお金と時間を使いたい」というものがあります。
だからこそ、普段の日常のちょっとした消費行動にさえ、彼らは幸せや喜びを見出します。
彼らの消費は、大きく承認欲求と達成欲求を満たすために行われます。
つまり、ソロ男にとってお金と時間の消費は自己の幸せに直結しているんです。
それは、決して家族というものを持たない心の穴を埋めているわけではなく、結婚する人とは別の器に幸せの貯蔵庫があるのです。
ソロで生きることと、社会的に孤立することとは別の話です。
そうご理解頂ければ、と思います。
いずれにせよ、
2035年には、ソロ男・ソロ女に加え、
離別死別を含んだソロ生活者が4800万人を超えます(国立社会保障・人口問題研究所「平成24年日本の将来推計人口」)。
日本は、人口の50%が独身者という「ソロモンの時代」に突入します。
それをただヒステリックに騒ぎ立てても、悲観しても、何も生まれません。
現実を見据えた上で、新しい未来を考えていければと思っています。
2016年8月に、1都3県を対象に実施したソロ男プロジェクトの調査によれば、
20~50代の未婚のソロモンたちは、男女ともに8割近くが「ひとりランチ派(ランチはひとりで食べたい)」で、
全体的に2年前の調査と比べて増えてます。
なお、あくまで「ひとりで食べたい」という願望なので、実際「ひとりランチ」をしているかは別です。
彼らが「集団ランチ」に行かない理由としては、
「自分の食べたい店に行けない」
「大勢で行くと、テーブル待ち時間が長くなる」
「誰かと一緒だと、ランチ終了後自分の好きなことに時間を使いにくい」
などをあげていますが、
本音は、「わざわざ集団ランチに行く意味がわからない」というところにあり、結局のところ「ひとりで食べたいから」ということに尽きるようです。
彼らは、生活意識において、ひとりの時間を大切にするという価値観が強く、その行動原理は「ソロ活動」にあります。
よって、「集団ランチ派」とはそもそも価値観が合わないわけです。
実は既婚男女でも過半数が「ひとりランチ派」でした。
意外かもしれませんが、「ひとりでランチを食べたい」というのはもはやマイノリティではないのです。
40代既婚男性から見ると「ひとりランチ」は異端
ただ、職場では管理職に相当する40代以上の既婚男性に絞ると、反対に「集団ランチ派」が多数派となります。
集団で行きたい上司とひとりで食べたい部下。
小さな差ですが、こうした職場での価値観の違いは、何かと問題の火種ともなります。
ランチタイムは基本的に就業時間外です。
ひとりで食べようがどうしようが、本来は個人の自由のはずです。
しかし、集団ランチ派の上司の誘いを断り、ひとりランチを続けていると「どうしてあいつは皆と一緒に食べないんだ?」といぶかしがられ、そのうち「いつもひとりでランチしているあいつには何か人間的に問題がある」というレッテルが貼られます。
これは、いつまでも未婚でいるソロ男に対する「なんで結婚しないの?」「いつまでも結婚しないあいつは何か問題がある」という反応とほぼ同じです。
誰かと一緒のほうが生活が充実するのか、ひとりの時間を大切にするほうが充実するのか。意識調査を行ったところ、
ソロモンと既婚男女とでは、明らかに正反対の傾向が出ています。
驚くべきは、ひとりの時間を大切にするソロ女が66.9%であり、ソロ男をも凌駕しているということです。
ちなみに、ランチだけではなく、ソロモンたちは買い物さえもひとりで行きたがります。
「人の買い物に付き合うのは苦痛だ」と感じているソロ男は、ほぼ半数の49.6%ですが、実はソロ女のほうが多く、54.2%にも上ります。
既婚男女の合計が31.5%なので、いかにその差が大きいかがおわかりいただけると思います。
「おひとりさま」の一般化
かつて「おひとりさま」という言葉がはやりました。
実は、この「おひとりさま」という言葉が生まれたのは意外に古く、1999年、ジャーナリストの岩下久美子さんが「これからは個の時代。女性が堂々とひとりで行動できる世の中にしたい」と「おひとりさま向上委員会」を発足させたことがきっかけです。
その後『おひとりさま』(中央公論社)という本も出版されました。
しかし、まだこの頃はあくまで一部の特殊なものという認識で、広く市民権を得るものではありませんでした。
その後、2000年代半ばから後半にかけて、女性の「ひとり焼き肉」や「ひとりカラオケ」などが各種メディアで取り上げられるようになり、2009年には、観月ありさ主演のテレビドラマ「おひとりさま」(TBSテレビ)が放映されるほどにブームとなりました。
こうして、最少催行人数1名からの一人旅専用のパックツアーサービスが生まれ、京都などの観光地では、外国人の団体客とは別に一人旅の「カメラ女子」の姿も数多く見掛けるようになりました。
こうしたソロ向けのサービス拡充の動きは、確実に需要があるからであり、今後ますますソロモン向け市場は拡大すると見込まれています。
今では、単独での消費行動やレジャー行動を「ソロ活」と呼び、そうしたひとりでの楽しみ方を満喫する状態を「ソロ充」と表現し、かつての自虐的な意味合いはなくなりつつあります。
それでは、そうしたソロモンたちは、いったい、どこまで「ひとり○○」ができるのでしょうか。「限界ひとり○○」を調べてみました。
まず、ソロモンたちと既婚男女とを比較してみました。
当然、ほぼすべての項目においてソロモンたちは既婚男女を上回ります。
ファミレス、ファストフード、カフェなどは8割以上で、かつてはデートの王道パターンでもあった映画館での映画観賞でさえ、76.6%が問題なくひとりで行けます(既婚者は58.1%)。
そして既婚者との差分が最も大きいのが、国内および海外旅行です。
海外の一人旅は53.2%と過半数を超え、既婚者の23.0%のほぼ倍です。
国内旅行に至っては、75.4%にも達し、既婚者の40.7%と比べて大きく差があります。
そこで、ソロモンたちの「ひとり○○」事情を、もう少し細かく見てみましょう。
それでも周りから好奇な目で見られたりするのは気にならないのか?
「それは自意識過剰ですよ。他人なんて思ったほど自分のことなんか見ちゃいません。もちろん自分自身も寂しくないし、むしろ効率的に回れて気分がいいです」とのこと。
ソロ男とソロ女を比較してみると、男女差がみてとれます。
遊園地や花火大会、祭り・縁日、さらには音楽フェスなどいわゆるレジャー系については、いずれもソロ女のほうがひとりで行く割合が高くなっています。
逆に、ソロ男が高いのは、海水浴、スキー場などのスポーツ系と、焼き肉、回転ずし、ラーメン屋、牛丼屋、立ち食いソバ屋など日常の外食関連に集中しています。
面白いのは「行列のできる話題の店」にひとりで行けるのはソロ男のほうが多いことです。
食に対するソロ男の貪欲さがわかります。
ソロ男の外食費が突出して高い、これは、こうした「ひとり外食」を多用しているからでしょう。
ソロ男は「ひとり飯」を好み、ソロ女は「ひとりレジャー」を好むというところでしょうか。
さすがにひとりバーベキューは寂しい!?
ところで、そうした「ひとり○○」が好きなソロモンたちにとってもさすがにハードルが高いのが「ひとりバーベキュー」で、さすがに男女とも最下位でした。
ひとり飯を好むソロ男でさえたったの6%しかいません。
今では「ひとりバーベキュー」用の商品開発もされており、話題にはなっています。
とはいえ、「ひとりバーベキュー」が今後ブームになるとは思えません。
いずれにせよ、以前は群対応ばかりだった店やサービスが、こうした「ひとり○○」への個の対応拡充が進んでいることは決して悪いことではないと思います。
①「バツ2で子ども2人」の男性がお相手
智美さんが結婚をしたのは4年前。
お相手は、「バツ2で子ども2人」のシングルファーザーだった健之さん(仮名、49歳)だ。
ネットで知り合い、数年間の迷いの時期を経てから結ばれた。
「30代後半から婚活をしていましたが、なかなか結婚に結びつかず。
自身の価値観や親の期待に振り回されていたのだと思います。
若い頃の理想の結婚とは異なりますが、新しい家族のスタイルで日々を楽しんでいます。
悩んでいる晩婚世代に伝えてあげたいです」とあった。リアルで前向きな話を聞ける予感がした。
実は、智美さんは若い頃、「早婚さん」になるチャンスがあった。
関西地方のお嬢様系女子大学を卒業して入社した総合商社で、同期の男性と婚約をしていたのだ。
「入社してすぐに付き合い始めて、5年ほど経った頃には結婚する話が進んでいました。彼は東京出身の人で、その頃に東京本社への転勤が決まったんです。携帯電話の電波がつながりにくい時代で、遠距離恋愛の不便さにお互いに苛立つことがありました。電話に出ないだけで浮気を疑ったり……。若かったなと思いますね」
不器用な後輩をいとおしむような口調で20年前の自分たちを振り返る智美さん。
どこで結婚式をやるのか、ウエディングドレスはどうするのか、などの細かいことで口喧嘩になり、結婚は無期延期となってしまった。
「親たちの意向もいろいろありました。あの頃の私たちの力では対処できないことが多すぎたのだと思います。彼とあのまま結婚してもうまくいかなかったんじゃないかな。特に私が未熟すぎました」
20年前、智美さんの両親はまだ50代前半。
現役世代だ。
長女で、優等生だった智美さんの結婚には理想とする形があったのだろう。
それを押し付けすぎると、子どもの幸せを壊してしまうことにも気づかないぐらい、親たちも若かったのだ。
「結婚が破談になり、会社に居づらくなって退職してしまいました。会社の人たちに対して開き直ることができなかったんです。今だったらそんなのは全然大丈夫ですけどね(笑)」
余裕の時代を経て、35歳が分岐点に
20代後半で新卒入社した商社を去った智美さん。
不況のただ中で正社員として転職するのは難しく、しばらくは別の商社で派遣社員として働いていた。
結婚に関しては、理想と余裕と焦りが入り交じるような心理状態だったようだ。
「30代前半までは合コンも多かったりするので、まあまあ強気でいられました。自然にしていれば恋愛相手に出会えるだろうし、めちゃくちゃ好きになった人と結婚するんだ、と思っていましたね。でも、もしかすると結婚しないままかもしれない、という不安もありました。そんな中、このまま派遣社員を続けるのは厳しいと判断して、人材サービス会社の営業職として正社員になったんです。ノルマもあって大変でしたけどがんばりました。結婚が見えないから仕事にすがる、という一面もあったと思います」
結婚が見えないから仕事にすがるという言い方は自虐的に響くが、結果としては智美さんの人生を豊かにしたと筆者は思う。
逃げ場のない立場で仕事に必死で取り組んだからこそ、今のキャリアがあるのだ。
経済的に自立できるだけの能力と実績を持つことは、既婚未婚にかかわらず、大人としての魅力につながる。
一方、恋愛と結婚については危機感が募った。
智美さんによれば、分岐点は35歳にあった。
「合コンなどの出会いの機会が急に減るのを感じました。同世代や年上の男性からもあからさまに避けられるんです。合コンを組もうとしたら、『他の男性メンバーが35歳以上の女性は無理だと言っている』と断られたこともあります」
そんな軽薄な男性は無視していい。
いっそ、年齢詐称しても構わないと思う。
(心は)28歳です!で押し通せばいい。
軽薄くんにはどうせ見破れやしない。
お酒を一緒に飲んで盛り上がってしまえば、年齢なんて関係なく好きになることある。
つい興奮してしまった。
当時の智美さんは冷静だった。
男性に怒ることはせず、自己分析を深めた。
「私は合コンに向いていなかったのも事実です。長い間恋愛をしていないので、男性との距離の縮め方を忘れてしまいました。幹事の私が会の盛り上がりを重視しすぎている間に、モテる子はちゃっかりボディタッチをして男性の気持ちをつかんでいたりするんですね。私にはできなかったな……」
プロフィールを盛らない、健之さんへの親近感
智美さんはマンツーマンのお見合いのほうが自分に合っていると判断。
ネット婚活に足を踏み入れた。
ただし、強気の条件を掲げた。
身長175センチ以上、年収700万円以上、大卒の男性を希望。
いわゆる「三高」である。
だからこそ、男性から年齢だけで評価されても怒りはしないのだろう。お互い様なのだ。
「当時は、今のようにちゃんとしたネット婚活サービスはほとんどありませんでした。芸能人の〇〇に顔が似ている、みたいなウソを平気でプロフィールに書いている人が多かったですね。ちなみに私は女子アナ系などと書いていました(笑)」
智美さんは独身証明書などの提出を義務付ける有料の婚活サービスではなく、「出会い系」に近い無料サービスを利用していたようだ。
そんなカオスの中で、健之さんの正直さは群を抜いていた。
二度離婚して、最初の結婚で作った子どもが2人いることを明かし、顔写真も公開している。
「日記」も飾らないユーモアにあふれていた。
三高条件もほぼクリア。智美さんは心惹かれた。
ただし、健之さんは「バツ2子2」という驚きの要素を持っていた。完璧な人間などいないのだ。
「最初のデートで8時間以上も一緒にいて、話がずっと続きました。面白い人だし、気が合うなと思いましたよ。でも、付き合うことには踏み切れませんでした。付き合うと結婚しなくちゃいけない気がしたからです。バツ2で子どもがいる男性を親にはとても紹介できません」
厳格な家庭の長女として育った智美さん。「お姉ちゃんでしょ。ちゃんとしなさい」と言われ続けてきた。
結婚を考える年齢になってからも「変な人と結婚したら親を失望させる」と予測し、自分の気持ちは二の次になっていた。
「38歳になったときには『子どもを産まなくちゃ』と焦りました。
子どもが欲しいというよりも産まないと落ちこぼれる、という感覚です。
学校のテストで80点は取らないといけない、大学や会社はこのレベル以上でなければいけない、という感じと同じですね」
親からの期待を原動力にして、社会的なステータスを上げることは悪くない。
しかし、頭の中をそれだけに支配されると自分自身が空っぽになってしまう。
地味な作業を一人でコツコツとやっているときもささやかな喜びを感じられることは何なのか。
お互いに髪の毛ボサボサのパジャマ姿で狭い部屋にいても、安心と心地良さを覚える相手は誰なのか。
真剣に自分と向き合い、迷い、勇気を持って行動した人だけが本当に人間らしい生活を送れると思う。
月2ペースでデートをしているのに手もつながない2年間を過ごした智美さんと健之さん。
口には出せない葛藤が多かったはずだ。
そして、煮え切らない2人をくっつけるきっかけが訪れる。智美さんが41歳のときだった。
「誰かがそばにいてあげないと」
「夫には最初の奥さんとの間に娘と息子がいて、娘のほうは2番目の奥さんとの折り合いが悪くて最初の奥さんと暮らしています。息子は夫と2人で暮らしていたのですが、反抗期になって夫とケンカをして、やはり最初の奥さんのところに行ってしまったんです。ちょうどそのときに夫が可愛がっていた飼い犬が亡くなりました。
夫は一人ぼっちです。誰かがそばにいてあげないと、と思いました」
かわいそうという気持ちをバネにして、健之さんとの交際に踏み切った智美さん。
当然、結婚が前提だ。
勇気を出して母親に打ち明けた。
すると、意外な反応が返ってきた。
「パートナーが見つかってよかった。私もいつまでも生きてるわけじゃないから。でも、お父さんにはなんて言おうかね」
離婚歴があり連れ子もいる健之さんとの結婚を大反対されると覚悟していたが、すでに70代になっていた母親は喜んでくれたのだ。
正面突破で母親を攻略して味方につけた智美さんは、父親に対しては懐柔と奇襲の2段階作戦に出た。
その頃、父親は同窓会でパワーポイントを使った発表をする予定があった。
しかし、パソコンは苦手。
智美さんはすかさず「ITに強い友だちがいるよ」と健介さんを紹介。
婚約者ではなく、親切で有能な友だちとして印象付けたのだ。
次は奇襲。
智美さんの父親は長く不動産関連の仕事をしており、不動産に関しては頼りにされたいタイプだ。
実家近くに中古マンションの出物があり、「ローンを組むにもギリギリの年齢」だった智美さんは、健之さんと暮らす新居として購入を決意。父親にこう相談した。
「私、結婚するからマンションを買う。お父さん、この物件をどう思う?」
父親は「オレが見てやるよ」と一緒に検討してくれた。
購入が決まった後で、「ところで誰と結婚するんだ?」と聞いてきた。
すでに結婚前提での質問である。
ここで智美さんはパワポ資料作りを手伝ってくれた健之さんと婚約していることを明かした。
「釣り書きは持って来いよ。オレの息子になる男なんだから、どんな人間なのか知っておきたい」
健之さんの子どもたちとも「和解」
父親は最後まで威厳を示したが、健之さんの離婚歴については何も言わなかった。
厳しい営業体験も経てきた智美さんの知略が功を奏した瞬間だ。
25歳のときは思いもつかなかった交渉術だろう。
智美さんとの結婚話が進むにつれて、健之さんにはさらなる幸福があった。
大人になった子どもたちとの和解が進んだのだ。
4年以上も会っていなかった娘からは連絡が来て、一人暮らしを始める息子からは家を借りる相談にのってほしいと頼まれた。
さっそうとしたキャリアウーマンである智美さんとの再婚話が父親の株を上げたのかもしれない。
「特に長女のほうは私を慕ってくれています。一緒に買い物をしたり、料理を作ったりしていますよ。でも、23歳の女性を自分の娘だとは思うことはできません。あえて言えば親戚の子みたいな感じですね。彼女も私を『ともちゃん』と呼んでいます。長男もいい子ですよ。男2人暮らしが長かったので家事がひととおりできるんです。みんなで食事をした後に洗い物をしていると、当たり前のように手伝ってくれます」
かつては「子どもは産まねばならない」という社会通念に縛られて苦しかったと振り返る智美さん。
社会通念から完全に自由になることはありえない。
しかし、40代になって結婚したことで「いい意味でのあきらめ」が生じたと語る。
「私が30代で、彼が初婚だったら不妊治療を考えたかもしれません。でも、彼の子どもたちが2人もいてくれるので、『私は産まなくても彼のDNA情報は残る』という考え方もできますよね。あまりこだわらなくてもいいのかな、と思えるようになりました」
予想もしなかった家族のスタイル
いま、智美さんは「若い頃の理想の結婚」とは異なる、予想もしなかった家族のスタイルを楽しんでいる。
ずっと実家暮らしだった自分と比べて、はるかに家事ができる健之さんは頼もしい存在だ。
義理の子どもたちとも「親戚のお姉さん」ぐらいの立ち位置で親しく付き合っている。
だからこそ、30代で独身の後輩たちを見ると、かつての自分と重ね合わせてアドバイスをしたくなるのだ。
条件や第一印象だけで「ピンと来ない」と切り捨てるのはもったいない、と。
「私は結婚する前よりも、後のほうが夫のことが好きになりました。いつでも自分の味方になってくれる人がそばにいるのは心強いことですよ。最初は恋愛や結婚を考えられない相手でも1回ぐらいはデートしてみたら、と後輩には伝えたいですね」
理想に向かって突き進むのは若さの証拠だ。
ただし、その「理想」が自分自身のものではなく、親の期待や世間体を反映したものに過ぎないことも多い。
不要なこだわりを捨てるのは時間がかかる。経験と勇気、そして出会いも必要だ。
健之さんとの結婚生活で「新しい家族のスタイル」を発見できたと振り返る智美さん。典型的な家族のスタイルではないけれど、なぜか伸び伸びと暮らし思い切り働ける自分がいる。「理想の結婚」は十人十色なのだ。
②きつい離婚の後に待っていた「最高の晩婚」
いろいろ過激だった、前の結婚生活と離婚
5歳年上だったという前夫とはどこで知り合ったのだろうか。
「物流関連の会社で派遣社員として働いていたときに知り合いました。私が25歳のときだったかな。結婚したら東北の地元に帰る、と言われたので『日本国内ならどこに住んでも一緒かな』と思ってついて行きました。
実際は、(首都圏での生活とは)全然違いましたね。電車が通っていないし、最初は友だちもいません。自分の地元が恋しいといつも思っていました」
ゆかりさんは保育士の資格があり、東北地方でも保育園の働き口を見つけ、そこで仲間もできた。
ただし、子どもがいないのに義母と3人暮らしは心地良いものではなかったようだ。
「(義母は)きさくでいい人かな、と初めは思ったのですが、すごくケチなことがわかったんです。トイレの下水料金を節約するために、庭で用を足すような人でした……」
受け止めてくれた友達と実家の存在
その後、耐え難い出来事が起きる。夫の浮気だ。
「彼はひとりでテニスサークルに入っていて、仲間と一緒に飲みに行くようになったのです。遠いときは泊まってくることも増え、問い詰めたら『好きな人がいる』とすぐに白状しました。20代後半のバツイチ女性です」
妻を実家に同居させた挙句に自分は浮気する……。
母親以上に無茶苦茶な男性である。
ゆかりさんはすぐに離婚を決意したが、保育園での責任があり、すぐに辞めて地元の川崎市に戻ることはできなかった。
ウィークリーマンションを借りて夫と義母との家を出て、3月末までは一人暮らしを続けた。
「保育園の仲間が引っ越しを手伝ってくれたし、遊びに来てくれたりしました。助けてもらったと今でもありがたく思い出します。
それでも、『生きていてこんなに不幸なことが起こるんだ』と思ったぐらいに落ち込みましたね」
春になってようやく川崎市の実家に戻ることができた。
両親は35歳の出戻り娘を「あっさり」と迎え入れてくれたという。
帰る場所があるというのはありがたいことだ。
地元に戻ったゆかりさんは、保育園で働きつつ遊びまくった。
特に、昔から好きだった宝塚歌劇団にハマったという。
2年後、いちばん応援していた団員が宝塚を卒業したことをきっかけにして、「次(のステージ)に行こうかな」と再婚を考え始めた。
「また結婚したらどうか、と勧めてくれる年上の方が周りにいたことが大きいですね。でも、ネット婚活ではプロフィールを入れただけで見ず知らずの男性たちから何十件もメールが来ました。ちょっと怖かったです。保育園の同僚に相談したら、ちゃんとしたアドバイザーがいる結婚相談所に入ることを勧められました」
ゆかりさんには相談や手助けを求められる友人が常に周囲にいる。
それは、離婚でも再婚でも大きな支えとなった。ゆかりさんのきさくで素直な人柄の賜物なのだろう。
その頃、雅彦さんは結婚相談所をそろそろ退会しようかと考えていた。
15万円ほどの入会金に加えて年会費もかかり、お見合いするたびに1万円の紹介料も取られる。
中規模のIT関連会社で働く身としては痛い出費だ。
それでも入会したのは、ゆかりさんと同じようなきっかけがある。
結婚相談所に入会、きっかけは「バイクの盗難」
「30代の頃は仕事と趣味に忙しかったので、無理に(相手を)探して結婚したいとは思っていませんでした。趣味はバイクです。1000ccの愛車にいろいろオプションパーツを付けて200万ぐらい費やしていました。でも、車検が終わった直後に盗まれてしまって……。何よりも大事にしていたバイクだったのでショックでしたね。で、ようやく結婚する気持ちになったんです。バイクが盗まれていなかったら今ごろまだ独身だったと思います」
宝塚やバイクに興味がない人にとっては理解のできない入会理由かもしれないが、
若さゆえの勢いや「授かり婚」などはないわれらが晩婚さんには、フィーリング以上にタイミングが重要である。
ただし、会話すら続かなければ結婚に発展しようがない。
「高いお金を払って会っているのに話がかみ合わない女性ばかりを紹介されて、退会しようかと思っていたんです。そのときに会ったのがゆかりでした。本当は結婚歴のない方を希望していたのですが、彼女がバツイチであることを見落としてお見合いしてしまいました(笑)。結果オーライ、ですけどね」
離婚経験者は性格や生活力に欠陥があると思われがちだが、ゆかりさんのように不可抗力で離婚せざるを得なかったケースも少なくないのだ。
あえて短所を指摘するならば異性を見る目がなかったことだが、それも離婚という手痛い経験によって大きく改善する。
見た目や口先だけではなく、その人との共同生活をリアルに想像したうえで結婚できるか否かを判断できるようになるのだ。
一度失敗してしまったことで少しは謙虚にもなっている。
初婚のときは「絶対に相手が間違っている」と思っていたのとは正反対だ。
これから結婚を考えている人には、晩婚さんだけでなく離婚さんも候補に入れてもらいたい。
ゆかりさんとは会話が弾むと喜んだ雅彦さんに対し、ゆかりさんは「私は話しやすいとは思いませんでした」と笑う。
しかし、雅彦さんが川崎市内に長く住んでいて、長男ではないので田舎の実家に戻らなくても大丈夫であることに着目し、連絡先を交換することにした。
最初のデートは雅彦さんが選んだ川崎市内の串揚げ店だった。
気取らない雰囲気の中で飲み交わし、お会計では1000円だけゆかりさんが出して残りは雅彦さんが払ってくれた。
全額おごってもらうのも気が引けるし、割り勘も野暮だと感じているゆかりさんは、大人の気遣いができる雅彦さんに惹かれていった。
妻に求める「2つの条件」
雅彦さんには結婚相手に求める2つの条件があった。
ひとつは
共働きができること。
自分の給料だけでは、2人の大人が余裕を持って明るく暮らしていけないと感じていたからだ。
もうひとつの条件は、
お互いの家族を大事にできること。
雅彦さんには東北地方に父親と兄夫婦がおり、子育てをしながら父親の世話もしてくれている義理の姉には深く感謝をしているという。
「兄夫婦へのお礼の気持ちも込めて甥っ子と姪っ子をかわいがるようにしているので、ゆかりが子どもたちに懐かれているのを見ると嬉しいです。最近はオレひとりで帰省すると『ゆかりちゃんはどうして来ないの?』なんて抗議されますからね(笑)」
20年以上も関東地方でひとり暮らしをしてきた雅彦さんだが、ゆかりさんとの共同生活は意外なほど心地良いという。
家事はすべてゆかりさん任せだが、部屋が少々散らかっていたり、食事がコンビニ弁当だったりしても文句は言わない。
「そんなことは必須ではないからです。家事をもっとしたいから専業主婦になる、なんて言われるのがいちばん困りますね。仕事が忙しくて料理ができないときは外食に誘っています。もちろん、オレが出しますよ。口も手も出さないけれど金は出す、という結婚生活です。家のローンや公共料金はこっちで、その他の生活費はゆかりが出してくれています。おかげで海外旅行も行けるし、甥っ子たちにもプレゼントを買える。大いに助かっていますよ」
ゆかりさんのほうも現在の生活に深く満足している。
そのことは、雅彦さんの顔を見る穏やかな眼差しから伝わってくる。
「雅彦さんは保育園の仲間とも一緒に飲んでくれるし、大変なときは愚痴を聞いてくれます。夕食がコンビニ弁当なので謝っても、『そんなことはかまわないけれど体は大丈夫か。仕事で無理してないか』と心配してくれるんですよ。いつも保育園で(夫の)自慢をしています」
愛する地元から遠く離れた土地で「生きていてこんなに不幸なことが起こるのか」と哀しみと孤独に震えていたのが6年前。
あの頃のゆかりさんは今の溌剌とした自分を見て何を思うのだろうか。
生きてさえいればこんなに幸せな日々にまた巡り合えるのか、と驚くはずだ。
苦しい離婚経験がなかったら優しい雅彦さんと出会うこともなかっただろう。
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