55歳で年収50万円... #母の年金で暮らす人生「#独身でよかった…」

年功序列が崩壊したといわれるが、いまだに年齢階層別平均賃金では50代がピーク。

しかし、リストラ、転職失敗、介護など、一度道を踏み外せば、いとも簡単に年収300万円以下へと転落する。

バブル期に入社し、「#恵まれていたクセに」と同情もされない悲しい世代の横顔は、明日の我が身だ。


期待の中堅も46歳でクビ 母親の介護に奔走する日々

▼繊維メーカー係長 年収600万円⇒家庭教師 年収50万円

 斉藤和孝さん(仮名・55歳)は、大学卒業後、繊維メーカーの開発部に就職し、ホープとして企業のパンフレットでも紹介されるほどだった。

だが、’00年代に入ると会社の業績が悪化していく。

「確かに厳しかったみたいですね。でも、職場は相変わらず緩くて、『みんなで頑張ろう!』という空気にはならなかった。なんだかんだ、今まで通り働いていました」

そのツケが回ってきたのがリーマンショック後。’

08年に40歳以上の正社員を対象に数百人規模の退職勧奨が行われた。

「『君の仕事はない』『今、辞めないと退職金はどんどん減る』と言われて、やむなしです。身障者の父と認知症の母親の介護もあり、会社に迷惑を掛けていましたし」

退職後、再就職斡旋会社に登録するも丸1年間、音沙汰なし。

在職中に取得した社労士の資格もまったく役には立たなかった。

「資格があっても所詮、未経験ですから。もう以前のような職に就くのは不可能だと悟って、非正規の職を転々としながら、派遣の家庭教師に落ち着いたんです」

だが、その派遣元も昨年の秋に破綻。

今は別の派遣元から生徒を紹介され月に4万円ほどの収入を得ているが、受験が終わり、新たな紹介がなければ収入はなくなる。

「父が亡くなり、母の遺族年金などが17万円ほど入るので、それが命綱。こんな苦労を他人にさせられないので、今となっては独身を貫いていてよかった」

 語り口はかつてのホープだけあり軽やかだが、その眼差しの奥には疲労が色濃く蓄積されていた。



早期退職した50代、一流企業出身でも再就職先が決まらない現実

管理職の重圧から逃げるように早期退職の末、再就職先は警備員

▼一流メーカー課長代理 年収850万円⇒警備会社 年収300万円

「まさに年功序列・終身雇用で、のんびり仕事していれば一生安泰だと思っていました。運動会の練習に2週間もかける会社でしたから」

 山口直人さん(仮名・56歳)の言葉通り、40代までは順風満帆。

開発部の課長代理にまで上り詰め、年収は850万円に。

バブル崩壊やリーマンショックを経てもリストラの嵐は吹き荒れず、このまま定年まで逃げ切りかと思われた50歳の時、転機は突然に訪れた。

「会社が早期退職者を募集しまして。正直、管理職が重荷になっていたので応募しました。自分は上司の指示に従うのは得意なのですが、責任やプレッシャーは苦手なタチで。板挟みの中で、燃え尽きた感もありました」

こうして退職を決断したものの、以降半年間、20社以上の面接を受けても再就職先は決まらなかった。

「会社を出て、初めて時代が変わっていたことを知りました。上司に『外に出たら、プライドは全部捨てろ』と言われた意味が、ようやく理解できました」

結局、これまでのキャリアを捨てて警備会社に就職。

専業主婦の妻もパートに出るようになった。

「『働きになんて出たくない』と言われましたが、頭を下げるしかないですよね。このまま年金支給までは頑張りたいですが、先が長くて、それまで体が持つかどうか」

 幸い実家住まいの子供3人は社会に出ており、家族5馬力で生活レベルは維持できているという。

「動けるうちは今の仕事を続けたい」と気丈に振る舞う山口さんだが、最後に「あの時我慢していれば……」とぽつりと呟いた。


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