#LGBTを攻撃対象にする人が増える... #新潮45を巡る応酬に危惧すること, #メディアリンチ, #ヘイトスピーチ, #ドラァグクイーン,
自民党・ #杉田水脈衆議院議員の寄稿が波紋を呼んだ月刊誌『新潮45』。
自民党の杉田水脈衆院議員が、同性カップルを念頭に「生産性がない」などと主張して批判を受けた問題で、杉田氏の寄稿を掲載した月刊誌「新潮45」が、9月18日発売の10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」と題した反論を特集した。
この18日に発売された10月号の特別企画「そんなにおかしいか『 #杉田水脈 』論文」が、さらなる物議を醸している。
編集部は「LGBT当事者の声も含め、真っ当な議論のきっかけとなる論考」だとして、教育研究者・藤岡信勝氏、文芸評論家・小川榮太郎氏、元参院議員の松浦大悟氏らの寄稿を掲載。
なかでも、小川氏の「#政治は生きづらさという主観を救えないと題した寄稿文が物議を醸している。
小川氏は、LGBTについて「#性的指向」ではなく「#性的嗜好」と表現。
「LGBTという概念について私は詳細を知らないし、馬鹿らしくて詳細など知るつもりもない」との姿勢を示した。
さらには、LGBTの権利と性犯罪者である痴漢の権利を同列に並べ、その権利を認めるべきではない立場で、以下のような主張を展開した。
▼以下、小川榮太郎氏の寄稿文「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」より抜粋。
「LGBTの生き難さは後ろめたさ以上のものなのだというなら、SMAGの人達もまた生きづらかろう。#SMAGとは何か。サドとマゾとお尻フェチ(Ass fetish)と痴漢(groper)を指す。私の造語だ。ふざけるなという奴がいたら許さない。LGBTも私のような伝統保守主義者から言わせれば充分ふざけた概念だからである。
満員電車に乗った時に女の匂いを嗅いだら手が自動的に動いてしまう、そういう #痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深ろう。再犯を重ねるのはそれが制御不可能な脳由来の症状だという事を意味する。
彼らの触る権利を社会は保障すべきでないのか。触られる女のショックを思えというか。
それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく。」
ここで、あらためて確認しておきたい。
小川氏の主張は何が問題なのか。そもそも、性的指向と性的嗜好の違いとは?
そして、LGBTを理解する姿勢はどうしたら生まれるのか。
LGBTの就職支援や企業研修などを手がける株式会社Jobrainbow代表取締役社長・星賢人氏に聞いた。
性的指向と性的嗜好は違う,,,
小川氏は、LGBTを性的嗜好と論じ、「性的嗜好など見せるものでも聞かせるものでもない」と書いている。
そもそも、性的指向と性的嗜好の違いとは? 星氏はこう説明する。
「性的指向は、"恋愛や性愛"の対象をどの性別にするか。
性的嗜好は、"性的な興奮"を何に対して感じるか。
異性を愛すること(ヘテロセクシュアル)、同性を愛すること(ゲイ、レズビアンといったホモセクシュアル)、誰も愛さないこと(アセクシュアル)、などは性的指向にあたります。
逆に、例えば、SMプレイや、太った人、年配の女性/男性、などに対して性的興奮を覚えることは性的嗜好にあたります。
重要なのは、性的指向とは異性愛を含めた"誰を愛するか"という点で、いわゆるベッドの上の話だけに留まらない、私たちの社会生活の基礎に関わる性のあり方であるということです」
つまり、LGBTは性的嗜好ではない。性的指向は、どの性別を好きになるか/ならないかを表すものだ。
ベッドの上の話ではなく、「社会生活の基礎に関わる性のあり方」なのである。
「例えば、異性愛のカップルが手を繋いでショッピングをしている時、男女で結婚した家族が子供たちと遊んでいる時、私たちはそれを微笑ましく思っても、"性的な興奮"に紐付けたりはしません。
同じように、同性愛者が同性のパートナーと一緒にいる時、それは常に"性的な興奮"に基づいた関係だけではなく、"愛情"といった深い結びつきを感じているのです」
発端は、『新潮45』8月号に掲載された杉田議員の「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」といった寄稿。
これに対し、自民党本部前には杉田議員に抗議するデモ隊が集まった。
さらに、
「杉田衆議院議員は本当にLGBTの問題に対する理解不足であり、人権という問題について全く理解をしていない」(立憲民主党・枝野幸男代表)、
「謝罪撤回をいまだにしない。このことをもって辞任に値する」(共産党・小池晃書記局長)、
「ああいう発言が党内から出てしまうことが悲しいですよね」(自民党・小泉進次郎筆頭副幹事長)
と与野党から批判の声があがったが、杉田議員本人は口を閉ざしたままだ。
『新潮45』の10月号には、この問題に対して「論文の『生産性』という言葉は誤読」「杉田議員への『 #メディアリンチ』だ」といった7人の主張が掲載されている。
こうした『新潮45』の姿勢に対してTwitter上で次々に批判が投稿されると、新潮社内部からも批判の動きが起こり、「新潮社出版部文芸」の公式Twitterが『新潮45』への批判ツイートを相次いで拡散した。
そして、新潮社の創始者・佐藤義亮氏の「 #良心に背く出版は殺されてもせぬ事(佐藤義亮)」という言葉を紹介した。
そうした中、ある新潮社の社員は「『新潮45』は新潮45の考え、編集方針があってやった。一方で、それは違うという社員がいることは確かで、私も全てが正しいとは思っていない。そういうものではないか」とコメント。
新潮社の宣伝部は、「弊社では、言論の自由を最大限に尊重するという立場から、各部署、社員の個人の意見表明に関して、言論統制のようなことは従来より一切行っておりません」としている。
『新潮45』を巡る一連の議論をLGBTの当事者はどのように受け止めているのか。
『 #けやきヒルズ 』( #AbemaTV )では、ゲイを公表して活動している一般社団法人fair代表理事の松岡宗嗣さんに話を聞いた。
松岡さんは『新潮45』10月号の7人の主張について「全体として議論できる点はあると思う」としつつ、次のように異議を唱える。
「今までの人生の中で『気持ち悪い』といったことはよく言われるが、なぜ気持ち悪いのかと聞くとほとんどの人は『よくわからない』『なんとなく』と答える。
その中でも特に厳しい人は、気持ち悪いという感情に様々な言い訳や言論を付けてぶつけてくる。
当事者はいつも足を踏まれているような、常に攻撃にさらされている状態のように思う」
こうした本の出版には「言論の自由があってもいいのでは」という見方もある。
しかし、ハフポスト日本版編集長の竹下隆一郎氏は「自分の主張というよりは、特定の人を攻撃するために書いた文章( #ヘイトスピーチ )と思われても仕方がない」と指摘。「言論の自由を主張するためには、きちんと調べる、相手を不当に傷つけない、わかりやすく伝えるというルールに基づく必要がある。新潮社はそれを全てすっぽかしていて、プロの仕事に見えない。著者にLGBTの知識が欠如していれば、出版社が言論を整理したり著者と意見を交換したりして高めていくのがプロ。見た限りそのやりとりが感じられず、受け取った原稿を載せたようにしか思えない」と苦言を呈した。
一方、こうした言論が世に出ることで松岡さんには危惧することがあるといい、「ヘイトに関しては命に関わること。
自分を自分で否定しなければならないとか、杉田水脈さんを発端にした厳しい言論とそれに対して反発する応酬の中で、LGBTをなんとなく理解できないという人たちが『LGBTを攻撃してもいいんじゃないか』と思ってしまうのではないか、当事者が傷つけられるのではないかとすごく危惧している。
大事なのは、LGBTの人は誰でも隣にいるということ。その人たちが友達だったら傷つけるような発言はしないはずだし、さも傷つけてもいいかのように言論するのはLGBT以前の問題だと思う」と訴えた。
(AbemaTV/『けやきヒルズ』より)
「新潮45」10月号が掲載したLGBT批判の特集記事の内容に反発して、出版元の新潮社の本を書棚から撤去する書店も現れた。
この特集記事には、文芸評論家・小川榮太郎氏は「LGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ」などと書いたことに関して、LGBT当事者らから反発する声が挙がっていた。
なぜ新潮社の本を書棚から撤去したのか。書店の主張を調べた。
■「あまりに酷い言葉の暴力が展開されている」(本屋プラグ)
和歌山市の書店「本屋プラグ」は9月19日、雑誌を含む、新潮社の新刊本の一切の販売を停止。
書棚に並んでいる本も全て撤去することを公式サイトで明かした。
約20坪の敷地に新刊と古本が混在している小規模な書店だという。
運営スタッフ2人の連名で以下のように訴えている。
『新潮45』において、「LGBTはふざけた概念」として性的マイノリティの方々への侮辱的で、あまりに酷い言葉の暴力が展開されていることは、とうてい看過できません。
強い憤りと抗議の声をあげるための決定です。
■「怒りを感じた」(東京都文京区の書店)
東京都文京区にある書店。約6坪の敷地に新刊と古本が混在しているが、公式Twitterで19日に「新潮社の新刊については当面仕入れを見合わせる事にしました」と投稿した。
店主の男性は21日、ハフポスト日本版の取材に対して「新潮45の内容を知って、怒りを感じた。
今は新潮社の本を置きたくない」と話した。新刊本の棚から、新潮社の本を撤去したという。
“ #ドラァグクイーンの起源は、男性の同性愛者が性的指向の違いを超えるための手段として、ドレスやハイヒールなどの派手な衣裳を身にまとい、厚化粧に大仰な態度をすることで、男性が理想像として求める「女性の性」を過剰に演出したことにあるといわれる。
本来はサブカルチャーとしてのゲイ文化の一環として生まれた異性装の一つであるため、ドラァグクイーンには男性の同性愛者や両性愛者が圧倒的に多い。しかし近年では男性の異性愛者や女性がこれを行うこともある。また趣味としてこれを行う者からプロのパフォーマーとして活躍する者まで、ドラァグクイーンの層も厚くなっている。“
(出典:Wikipedia ドラァグクイーン)
ドラァグクイーンとMtFトランスジェンダーの違い
MtFトランスジェンダー(男性の身体で生まれ、女性自認を持つ方)とドラァグクイーン、何が違うのかという疑問を持つ方もいるかもしれませんね。
MtFトランスジェンダーの方とドラァグクイーンの大きな違いは、ドラァグクイーンはあくまでパフォーマンスとしての女装で、女性のパロディのようなものであるのに対し、MtFトランスジェンダーの方はパフォーマンスではなく、自分を女性として認識し、完全に女性として見られることを目的として女性の衣服を身にまとっているという点です。
本来、MtFトランスジェンダーの方が女性の衣服を身にまとうことは女装ではありません。
なぜなら、MtFトランスジェンダーの方は女性として女性物の衣服を身にまとっているからです。
女性が女性物の衣服を身にまとっていても、それを「女装」と呼ぶことはないですよね。
一方ドラァグクイーンは、パフォーマンス、もしくは仕事として女装(主にはド派手な女装)をします。
そしてドラァグクイーンの方の多くは男性自認を持つ男性(※シスジェンダー男性)です。
自分を男だと思っているため、パフォーマンス/仕事の時以外は男性の格好をします。
女装をしているために、「女性になりたいのかな?」と思われがちですが、ドラァグクイーンの女装はあくまで外向けのパフォーマンスなので、彼らは「女性になる」ことを望んでいるわけではありません。
The Rose (더 로즈) - Sorry MV
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