公的介護サービスだけじゃ追いつかない!!! 「家」制度崩壊で建てなおす... たとえば、グループホーム、シェアハウス 【 #混合介護 #猪瀬前知事対談 】
猪瀬直樹氏。功績は介護分野においてもさまざまな改革を行っている。
施設不足を解消すべく、東京に見合った独自の施設基準として「東京モデル」を打ち出し、「ケア付き住まい」「都型ケアハウス」を推進。
また、高齢者が地域で生活できる拠点を整える「シルバー交番」の設置など。
実際に改革を行うことで、彼自身が実感したのは「規制の壁」だという。
そして、その経験をふまえた上であえて言う「行政だけに期待するな」。その真意とは?
猪瀬 港区の包括支援センターを視察した時、驚いたのは、たった2人で何十件もの家を担当していたこと。これでは回らないな、と思った。だから介護福祉業界が民間市場に頼らざるを得ないな、というのは実感するんだよ。この超高齢社会の現状を考えると、官だけでは追いつかない。公と民が補いあっていかないといけないと思うんだよ。
みんなの介護 現在だと、例えばどんな事業があるでしょう?
猪瀬 「伊藤忠商事(株)」は大手民間警備会社と組んで、海外駐在員向けの高齢者見守りサービス「駐在員ふるさとケアサービス」というのを2011年から始めている。伊藤忠は海外市場が大きい会社だし、駐在員が心置きなく働くためには、日本に残した一人暮らしの高齢者家族に関する心配、不安を取り除かなくてはならない。緊急通報システムに加えて、24時間365日対応の看護師による電話健康相談サービス、掃除や洗濯など短時間の家事代行を行っている、と。
「駐在員ふるさとケアサービス」にしても、隙間を埋めていくようなサービスかもしれないけど、全員が納得いくものじゃない。海外駐在をした場合自宅をどうする、一人で残された高齢者をどうする、という問題から生まれたサービスなわけだよね。一気に何かを変えるよりも、今起きている問題をどうやって埋めていくのか、それを民間の警備会社が始めている。何かとても良い解決法があって、全部が一度にひっくり返るなんてことはないんです。少しずつ、少しずつ変わっていく。そういうものだよ。
これからは企業が社員の介護問題もケアする時代になる
みんなの介護 そう考えると、そのサービスの需要と供給のバランスは取れるのだろうか…といったことも考えてしまいます。
猪瀬 市場というのはそれに見合う形で生まれてくるわけだから、当然、生まれたニーズを誰かが埋めることになる。例えば伊藤忠の場合、見守りサービスは福利厚生の一環として会社負担なんですよ。企業としても心おきなく働ける環境を整えたいわけです。今、企業の持っているお金は300兆円。今後はそういうところにお金をかけていく時代になると思いますよ。
みんなの介護 企業が社員の介護問題もケアする、と。
猪瀬 昔の企業は「家族」だったけど、今はそうじゃない。でも、昔は国家と個人の間に「家」というものがあったんだよね。例えばそれは今の核家族とは違い、子どもが多い家から少ない家に養子をやることもあるし、維持していく必要があるもの…いわば、国家と個人の間の「中間状態」なわけです。
現代にもそういうものがあったほうがいい、という考え方がある。でも日本は戦後に「家」制度が崩壊してしまったから、「中間状態」の屋根を建てなおす必要がある、それはたとえば現代の形だと、グループホームだったり、シェアハウスだったりするのかな…とも思うんですよね。
超高齢社会への対策をしたとしても、結局みんなが満足する方法なんかない
みんなの介護 例えば、コミュニティが密な田舎のほうが、地域で連携ができる分高齢者は暮らしやすい…という状況があったりしますもんね。
猪瀬 そうなんだよね。だから一筋縄ではいかない話で。結局、高齢社会への対策は「これだ!」という答えはないんだよね。解決策は例えばシェアハウスかもしれないし、高齢者住宅と保育所を一緒にしたまちづくりかもしれない。コンパクトシティ構想とか色々言われてるけどね。千差万別でいろんな試みが行われていくけど、みんなが満足する方法というのはないよね、やっぱり。
みんなの介護 行政と民間の連携は、うまくいくものなんでしょうか。
猪瀬 実は今、大手警備会社は民営の刑務所を担当しているんですよ。実際に視察に行ったこともあるんだけど、通常の刑務所みたいな高い壁とかはなくて、センサーで警備をしている。中ではパソコンなどを教え、社会復帰の手助けもする。昔は木工作業が中心だったけど、今は木工の技術よりもパソコンの知識を得た方が就職に有利でしょう?もちろん犯した犯罪が軽く、出所が前提の場合だけどね。
みんなの介護 刑務所内で介護資格の勉強をさせる場所もあるらしいですね。
猪瀬 そう、何が再就職に必要か、ということなんです。刑務所というのは明治時代からのシステムがそのままで、取り残された世界。でもそんな刑務所が民間と連携している時代になっている。この事例を見ると、変化は可能だと思うんだよ。
だって、ATMだって昔は銀行にしかなかったんだから。今はコンビニに必ずあるでしょう? サービスというのは変わってくるんだよ、ということを頭に入れた上で、介護サービスも考えていかなくてはいけないと思うんだよね。
みんなの介護 ただ、介護業界に関しては介護保険という縛りがあります。やはり変化のことを言うと、そこが厳しいという現状を言う従事者も多いようです。
猪瀬 そこは僕にはわからないけど(苦笑)。でも、変わってきているのは現実で。だから介護保険という幅はあるけれど、介護の業界、サービスも変化していく可能性がある。そう思っておいていいんじゃないかな。
私がサ高住の先駆けを作ったのは、官による規制が届かない形が必要だったから
みんなの介護 猪瀬さんは、副知事をされていた時に「ケア付き賃貸住宅」などの政策を手がけました。当時、どのような経緯でプロジェクトがスタートしたのでしょう。
猪瀬 今は国が「サービス付き高齢者向け住宅」、いわゆるサ高住に補助を出すようになったけど、それを僕が先駆けて作ったわけなんだよね。
きっかけは、2009年に群馬県で起きた見届け老人ホーム「たまゆら」での火災事故だった。10人のお年寄りが亡くなったんだけど、うち6人が生活保護受給者。火災後の調査の中でわかったんだけど、他の県の未届け有料老人ホームに入居している東京都の生活保護受給者は当時で500人もいたんだよね。すぐに解決策を見つけるため、「少子高齢時代にふさわしい新たな『すまい』実現プロジェクトチーム」を立ち上げた。
また、東京都に住む75歳以上の高齢者は2000年時点で75万人だったんだけど、これが2025年には200万人になる。そうなると高齢者だけの世帯が増え、介護が必要な高齢者の急増も見込まれるよね。東京のような大都市だと核家族化が進み、地域とのつながりが希薄なので、家族や地域からの支えがない高齢者がより多くなってしまう…でも有料老人ホームは非常に高額で、入居できない人も多い。低所得者の人、例えば生活保護の受給者でも安心して暮らせるにはどうしたらいいか、それがプロジェクトの課題だった。
みんなの介護 実際に実現されるまでは大変だったのではないでしょうか。
猪瀬 当時そのことをやろうとしてわかったのは、介護に関する施設を作るには規制がたくさんあり、複雑になっているという現状だったね。もちろん、完全介護の施設を作るのは大変だから、まずはグループホームくらいの規制がゆるいものをつくらなくては、と。それは要介護者ではなく、“施設に入る前の段階”の人への対応になってしまうわけだけど、それでも足りていないのは現実だったわけだから。
例えば特養が足りないと言われても、「特養だけを増やそう」となったらいつまでたっても増えないよと。規制が厳しいから。だからそうでない形を考えた。役所の規制というのは過去に作られたもんだから、どうしても縛られてしまうんです。だったら、そうでない形を考えたほうがいい。役所の規制があると、そういう施設は決して増えないんですよ。保育所の問題がそうで、「園庭が必ずないといけない」とかそういう厳しい条件でやっていると、いつまでたっても待機児童は解消しない。
みんなの介護 規制が厳しいのであれば規制が変わったり緩和されるのを待つのではなく、まずは別の形を考える、と。
猪瀬 ニーズがあればビジネスが生まれるんです。採算が合わないものは成り立たない、じゃあ税金でやるのは何かというと「採算が合わないもの」になる。
でも、そうするとそこには規制が必ずある。だから官が何かをやろうとすると、常にニーズに遅れてしまうわけです。だから民間が採算が合う場所をまずは追いかけて行って、その後から官がついていくという形になるのは仕方ないだろうね。
政策を提案する側も、それですべてが解決するなんて考えてない
みんなの介護 「官」にばかり頼ったり、期待するな、と。
猪瀬 アベノミクスの「新3本の矢」だって、介護離職ゼロにするって言ってるんだよね? そのために介護休暇の取得を推奨すると。それは一つの解決策にすぎないけれど、でもやったほうがいいよね。
実は政策を出す方も、全ての解決策だとは思ってないんだよ。決定的なものなんてあるわけはない。「とりあえずこれはできますよね」というものを積み重ねていくしかないんだから。そりゃ消費税が20%になればいろいろ問題は解決するだろうけどさ、そういうわけにもいかないしね(笑)。
みんなの介護 そう考えると、ちょっと行政への見方が変わってくるような気がします。ただやはり、「みんなの介護」に寄せられる介護従事者からの声は、行政への不満がやはり多いのも事実です。
猪瀬 日本の行政は縦割りだからね。これは変わらないよ。それはもう絶望的な話でさ、僕はよく「昭和16年夏の敗戦」って書いてるんだけど、戦争を始める前に各役所が自分たちの利益優先でまとまらなかった、という歴史がある。アメリカと戦争をやったら負けるのに、各役所が縄張り争いをしてる間に時間切れになった。最終的に陸軍と海軍が自分たちの持っている石油の備蓄量を言わないまま戦う、という状況になって…どう考えてもおかしいでしょう?
それは縦割りの持っている宿命みたいなもので、あの敗戦の原因なわけです。その後役所が整って、完全な縦割り行政になってしまったから、統合機能がますますなくなってしまった。戦前が軍国主義で戦後が民主主義というのは間違いで、戦前も戦後も官僚主権なんですよ。
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