【 #格差 #老後 】 老後生活は日米でこんなに格差が... なぜ!!!
「貧困は本人だけの責任ではない」
なぜアメリカの下流老人は日本の老人より幸せなのか
2017年1月12日(木)06時31分 Newsweek.com
<日本では高齢者の貧困が社会問題となっているが、『日本より幸せなアメリカの下流老人』によれば、そのタイトルが示す通り、意外にもアメリカのほうが高齢者は貧困ではないという>
『日本より幸せなアメリカの下流老人』(矢部武著、朝日新書)は、そもそもタイトル自体に大きなインパクトがある。
国民皆保険や公的介護保険がない米国で老人たちが安心して暮らせるということ自体が、どうにもイメージしづらい話だからである。
2012年8月に米主要紙『USAトゥデー』が発表した調査では、60歳以上の高齢者の3人に2人が現在の生活に満足し、4人に3人が将来のことを楽観的に考えていることがわかった。
「現在の生活はどうか?」との質問に対し、どちらかと言えば満足している人が65%に上り、また、「5年後、10年後に生活の質は良くなると思うか?」との質問には「そう思う」という人が75%となった。(16ページより)
一方、内閣府による日本、米国、スウェーデンの65歳以上の男女を対象にした意識調査(2016年5月)では、
日本は4カ国中、「友だちづきあいが少なく、老後の蓄えが足りない」と感じている人が最も多いことがわかったのだそうだ。特に日本と米国を比較してみると、その違いは顕著。
「困ったときに家族以外で助け合える友人がいない」と答えた人の割合は日本が25.9%で、米国は11.8%。
「貯蓄や資産が老後の備えとして足りない」とした人は日本が57.0%で、米国は24.9%だったというのだから、あまりにも差がありすぎる。
本書ではまずこうした差の実態を明らかにした上で、米国の、そして日本の老人の生活について、緻密な取材に基づいて克明に描写する。
そこから浮かび上がってくるのは、文面を追っているだけでも心地好さそうな米国の老人たちの日常だ。
それは「人生を謳歌する」という表現がぴったりなものなのだが、著者によれば統計で見ても、高齢者の貧困は米国より日本のほうが深刻なのだそうである。
「貧困大国」と呼ばれる米国だが、実は65歳以上の高齢者の貧困率は日本よりはるかに低い。
米国勢調査によれば、2014年の米国の貧困率は14.8%だが、65歳以上の高齢者に限れば10.0%である。
一方、厚生労働省などの調査によると、2012年の日本の貧困率は16.1%で、世帯主が65歳以上の世帯に限ると18.0%となっている(OECDの調査では異なる結果が出ているが、本書では日米の政府機関が発表したデータをもとに貧困率を比較している)。
国全体の貧困率は両国で大きな違いはないが、65歳以上の貧困率では日本は米国よりもはるかに高い。なぜこのような結果になるのか。(56~57ページより)
そこには、日米両国の貧困対策に取り組む姿勢と公的支援の中身の違いが現れていると著者はいう。
先に触れたように、米国には国民皆保険や公的介護保険がないが、もし下流に転落した場合は最低限の支援を受ける体制が整っている。
ここが日本との決定的な違いだということである。
では、日本はどうなのか?
ご存知のとおり、この国は国民皆保険や公的介護保険が整っており、"本来であれば"高齢者も安心して暮らせるようになっているはずだ。
ところが現実は異なり、生活苦の不安やストレスなどで追い詰められてしまう人が多い。
本書の第四章にも、孤立したあげくにひとりで亡くなり、死後何週間も発見されないまま腐乱していく老人の話が登場するが、それはとても身につまされるものだ。
生きていられる人についてもそれは同じで、たとえば以下は、生活困窮者への支援活動をしているNPOのスタッフの話である。
「明日家賃の支払い日だが払えないとなると、"どうしたらいいんだろう、この年でアパートを追い出されて、病気もあるし......。どこで保護してくれるんだろう"と追い詰められてしまう。"こうなったら、刑務所に入るしかない"と思いつめ、コンビニなどで強盗しようとナイフをちらつかせたりする。でも、本気で相手を傷つける気はないから、未遂に終わることが多いのです」(177ページより)
あまりに切ない話だが、こうしたことが起こるのは、生活苦で追い詰められた人が人間らしく生きるために必要な支援を受けられる体制が整っていないからではないかと著者は指摘する。
生活保護の制度こそあるものの、それを簡単に受給できるシステムになっていないということで、なんとも矛盾する話だ。
そこで著者は生活保護の手続きなどについて、さまざまな提案を行なっている。
それらはたしかに有意義なものなのだが、明日も生きていかなければならないという現実が人々の眼前にある以上、それより先にすべきは「老後破産」に追い込まれないためには個人として何をすべきか、どのような蓄えをすればよいかということであるはずだ。
事実、著者もこの点を強調している。
それによれば、1つ目のポイントは生活保護の使い方をよく理解すること。
日本において生活苦を抱える下流老人が頼れるのは生活保護だけなのだから、その仕組みをよく理解し、いざというときに使えるようにしておくべきだという。
2つ目のポイントは、定年を迎える前にどれだけ準備しておけるか。
そこで、まずは定年後に受け取れる年金額を早めに確認しておくことを著者は勧めている。日本年金機構の「ねんきんネット」のサイトに必要事項を入力すれば、60歳未満の人でも自分がもらえる年金の見込み額を知ることができるというので、これは私たちも確認しておきたいところだ。
年金見込み額がわかったら、それをもとに自分の老後のライフプランをイメージしてみる。
そうすれば「どれだけあれば生きていけるのか」などがわかるというわけだ。
そして老後破産を防ぐ3つ目のポイントは、定年後は生活をダウンサイジングし、人間関係を豊かにすること。
現役時代よりも収入が減るのだから、生活費を減らしていかなければならないのは当然の話。
それは無理をするということではなく、生活に支障をきたさない程度に少しずつ節約していくということである。
同じように、人間関係も非常に大切だ。
日本の高齢者は老後の蓄えが不十分な上に家族以外の人との繋がりが少なく孤立しやすいため、新たなつながりをつくって人間関係を豊かにするべきというわけである。
何かあったとき、頼れる人がいることには大きな意味があるだろう。
それにしても、ここまで老人が追い詰められる日本社会のあり方は、どう考えても異常なのではないか?
生活保護を受給できるようになるまでに高いハードルがあるということ自体が、本来であればおかしな話なのだ。
だから著者も、生活保護を使いやすくするための制度見直しや、すべての低所得高齢者に最低限の生活費を保証する制度の導入が必要だと訴える。
現役時代の仕事や働き方によって年金額に差が出るのは仕方ないとしても、すべての高齢者が人間らしく生きる権利は保障されなければならない。
日本の政府や政策担当者にはその辺の意識が欠けているように思う。(231ページより)
日本には老人を敬愛し、長寿を祝う「敬老の日」があるのに、実際には多くの高齢者が生活の不安を抱えている。
それは非常に残念なことだとする著者の意見には、私も強く共感する。
「老人の幸せ」をアメリカから学ぶ~「日米老後格差」
2016.09.15 ジャーナリスト 矢部 武
日本と米国で高齢者の貧困問題を取材してみると、両国の貧困に対する考え方や取り組み方の違いに驚くことが多い。
例えば、日本人は「貧困は本人の責任だから、政府に頼るのではなく、自分や家族でなんとかしなければならない」と考える傾向がある。
だから、どんなに極貧状態に追い込まれても、なかなか助けを求めようとしない。
その結果、精神的に追い詰められて自殺したり、窃盗や強盗などの事件を起こしたりする下流老人が後を絶たない。
また、周囲にも「貧困は自己責任で、自業自得だ」と考える人が多く、社会全体が貧困者に冷たいように思える。
一方、米国人の多くは「貧困は本人だけの責任ではない」と認識しているので、生活苦を抱える下流老人は積極的にかつ堂々と支援を求めようとする。
また、日本の生活保護に相当する公的扶助の「補足的保障所得」(SSI)についても、あくまで個人の問題(他人がとやかく言うべきではない)と考えるため、受給者に対する偏見や自身のスティグマ感はあまりない。
このような考え方や取り組み方の違いが、両国の高齢者の生活苦や不安、幸福度の違いにつながっているのではないかと思われる。
この「日米老後格差」の実態を明らかにし、日本の下流老人問題の解決策を提案した
『日本より幸せなアメリカの下流老人』(朝日新書)が9月13日に発売された。
そこで今回は本書のハイライト部分を紹介させていただきながら、記事をまとめてみたい。
不安が少なく、幸福度が高い米国の老人
2012年8月に米主要紙『 #USAトゥデー 』が発表した調査では、60歳以上の高齢者の3人に2人が現在の生活に満足し、4人に3人が将来のことを楽観的に考えていることがわかった。
「現在の生活はどうか?」という質問に対し、どちらかと言えば満足している人が65%に上り、また、「5年後、10年後に生活の質は良くなると思うか?」との質問には「そう思う」という人が75%となった。
一方、内閣府による日本、米国、ドイツ、スウェーデンの65歳以上の男女を対象にした意識調査(2016年5月)では、日本は4カ国の中で、「友達づきあいが少なく、老後の備えが足りない」と感じている人が最も多いことがわかった。
特に日本と米国を比較してみると、その違いは顕著だ。
「困った時に家族以外で助け合える友人がいない」と答えた人の割合は日本が25.9%で、米国は11.8%。
また、「貯蓄や資産が老後の備えとして足りない」とした人の割合は日本が57.0%で、米国は24.9%だった。
これらの調査結果からわかるのは、米国の高齢者の満足度や幸福度は日本よりはるかに高く、老後の不安を感じている人はずっと少ないということだ。
老後の不安についてはいくつかのパターンがある。
1つは「貯蓄や資産など老後の備えが足りない」という不安、2つ目は中流老人が感じる「下流に転落したら、どうしよう」という不安、3つ目は下流老人の「家賃を払えなくなって、アパートを追い出されたらどうしよう」というような不安である。
これらの不安を和らげるには低所得高齢者への公的支援を充実させ、セーフティネットを整えることが必要だが、米国ではそれがある程度整っている。
例えば、低所得高齢者に最低限の生活費を保障するSSI、餓死しないだけの食料を提供するフードスタンプ(食料クーポン)収入の3割を払えば、残りは政府が負担してくれる家賃補助、医療や介護をほぼ無料で受けられる公的医療扶助「メディケイド」などだ。
一方、日本は国民皆保険や公的介護保険が整っていて、本来なら高齢者が安心して暮らせる社会のはずなのに、生活苦の不安やストレスなどで追い詰められてしまう人が多い。
生活困窮者への支援活動をしているNPOのスタッフによれば、低年金で暮らす人が貯金も底をついて無銭飲食をしたり、家賃が払えなくて窃盗や強盗をして逮捕されたりするケースが最近増えているという。
なぜこのような悲惨な状況になっているのかと言えば、生活困窮者が必要な支援を受けられる体制が整っていないからであろう。
生活保護の制度はあるが、それを簡単に受給できるシステムになっていないのである。
生活保護を使いやすくするための制度見直しについては、以前も当コラムで提案したが、申請者の親族に対して行われる扶養の可否の照会はやめてはどうかと思う。
他の先進国を見ても、ほとんどの国では受給条件として問われるのは個人の資格だけである。
親族に頼めないから役所へ申請に行っているのに、その役所から親族に連絡がいくというのでは申請できなくなってしまう。
米国では生活苦にあえぐ低年金者・無年金者は65歳になれば、収入・資産の要件を満たすだけで月額約800ドルのSSIを受給できる。
また、SSIと公的年金を受け取る役所が同じ社会保障局なので、SSI受給者にとっては「福祉をもらっている」というスティグマ感がほとんどないそうだ。
このように生活困窮者のセーフティネットは使いやすいシステムにすることが大切であり、この点は米国の制度から見習うべきだと思う。
また、米国には低所得高齢者が収入の30%を払えば入居できる家賃補助制度がある。
日本には低所得者向けの公営住宅はあるが、圧倒的に数が足りない。
そのため、下流老人の多くは仕方なく民間住宅に住み、「家賃で収入の大半が消えてしまう」という状況に追い込まれている。
一刻も早い低所得高齢者向けの家賃補助制度の導入が求められるところだ。
高齢者の貧困率は日本の方が高い
「貧困大国」と呼ばれる米国だが、実は65歳以上の高齢者の貧困率は日本よりずっと低い。
米国勢調査によれば、2014年の米国の貧困率は14.8%だが、65歳以上の高齢者に限れば10.0%である。
一方、厚生労働省が2014年7月にまとめた「国民生活基礎調査」では、日本の貧困率は16.1%で、65歳以上に限ると18.0%となっている。
国全体の貧困率は両国で大きな違いはないが、65歳以上の貧困率では日本は米国よりもはるかに高い。なぜこのような結果になるのか。
米主要誌『 #USニューズ&ワールドレポート 』は2014年1月、「 対貧困戦争における最大の勝者は高齢者 」と題する記事を掲載した。
それによれば、米国では過去50年間(1964~2012年)に国民全体の貧困率を19.0%から15.0%に下げることに成功し、特に注目すべきは65歳以上の高齢者の貧困率を28.5%から9.1%と3分の1に減らしたことだという。
米国が高齢者の貧困率を大幅に下げることができた最大の理由は、社会保障制度を充実させたことだ。
公的年金の「老齢・遺族・障害年金」(OASDI)の制度を充実させ、多くの高齢者の生活を安定させた。
約2600万人がその恩恵を受け、貧困から抜け出すことができたそうだ。
同時に低所得者への支援策として税額控除による還付金、フードスタンプ、SSI、住宅補助、低所得家庭光熱費補助プログラム(( #LIHEAP )などの充実にも力を入れた。
#OASDI は保険料である社会保障税を10年以上納付すれば、退職後に年金を受け取れる制度である。
これを運営する #連邦社会保障局(SSA) によれば、米国の労働者の約94%はOASDIに加入し、社会保障税を払っているという。
会社員と公務員は収入の6.2%を払い(同率を雇用主も負担)、自営業者は12.4%を支払う。受給は66歳まで待てば満額を、62歳からは減額を受け取ることになる。
日本の公的年金制度と大きく違うのは、OASDIは会社員、公務員、自営業者が納めた保険料は全て社会保障信託基金にプールされることだ。
日本では会社員は厚生年金、公務員は共済年金、自営業者は国民年金と分かれ、保険料も別々にプールされ、支給額もそれぞれ大きく異なる(2015年10月に厚生年金と共済年金は統一されたが、国民年金は置き去りにされたままである)。
国民年金は保険料を40年間払い続けても満額で6万5000円しかもらえず、年金で生活できない下流老人を増やす要因にもなっている。
OASDIは保険料がまとめてプールされるので、公務員、会社員、自営業者の年金受給額に大きな差はない。
保険料を支払った期間や総額、年齢などが同じなら、基本的に受給額も同じレベルになるからだ。
また、低所得者の年金受給額の割合(支払った保険料に対するリターンの率)は高所得者のそれより高くなっている。
つまり、年金の所得再分配機能が発揮され、高所得者に厳しく、低所得者に優しいシステムになっているのだ。
また、低年金で受給額がSSIよりも少ない場合は、連邦社会保障局に申請すればその差額を毎月受け取ることができる。
SSIとOASDIは同じ連邦社会保障局が運営しているので、SSIの申請も容易にできる。
生活保護を申請するためにわざわざ自治体の担当部署に行っても親族の扶養可否などについて聞かれ、なかなか承認してもらえない日本の状況とは大きく異なる。
「貧困大国」を変えた社会保障法
米国と言えば「弱肉強食の市場主義」のイメージが強いが、実は貧困に転落した人たちが手厚い公的支援を受けられる体制が整っているのである。
貧困問題は市場の力と個人の自助努力で解決すべきだとする米国社会を大きく変えたのは、1929年に起きた「大恐慌」だ。
ウォール街の株価が大暴落し、企業倒産が相次ぎ、街には失業者が溢れた。
多くの国民が家や財産を失い、路頭に迷った。
その結果、公的支援や社会保障の大切さを思い知らされ、当時のフランクリン・ルーズベルト大統領(民主党)に社会保障制度をつくるように求めた。
大統領は国民の期待に応え、1935年に「社会保障法」(SSA)の立法化を議会に求め、成立させたのである。
SSAは退職者に老後の生活費を支給する公的年金制度「老齢・遺族・障害年金」(OASDI)を発足させ、また、低所得高齢者への様々な公的支援の道を開いた。
しかし、市場の力と自助努力を優先した「小さな政府」を掲げる共和党は、ルーズベルト大統領の社会保障推進政策に強く反対した。
それ以来、米国では社会保障や福祉のあり方をめぐり、民主党と共和党が激しく対立する構造が続いている。
1960年代に入ると、民主党のリンドン・ジョンソン大統領が「偉大な社会」を掲げ、人種差別撤廃をうたった公民権法を成立させ、貧困対策として低所得者への公的支援を充実させた。
1965年には「アメリカ高齢者法」(OAA)が制定され、同時に65歳以上の高齢者向けの公的医療保険「メディケア」と、低所得者向けの公的医療扶助「メディケイド」が創設された。
また、OAAの制定によって、体が不自由な高齢者および高齢者世帯に温かい食事を配達する「ミールズ・オン・ホィールズ」(MOW)や、無料の「公的在宅支援サービス」(IHSS)などのプログラムが導入された。
残念ながら、これらの低所得高齢者向けの公的支援については日本ではあまり知られていない。
それはなぜか。ある社会保障の専門家によれば、「社会保障・福祉の研究対象としては欧州諸国に目を向ける人が多い。
米国は“市場主義で、福祉の国ではない”という先入観が強いため、最初から研究対象としない」のだという。
米国の社会保障制度についてはあまり研究対象にならないため、メディアも積極的に報道することはなく、結果的に人々に伝えられていないということだ。
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