なぜ #介護殺人は相次ぐのか!!! #親を捨てる覚悟!?

「友人に電話で『母に死んでもらいたい』と泣きながら話をした」


「死んでくれたら楽になると思い、枕を母の顔に押し付けたことがある」――。


アンケート用紙には、家族の介護を担う人たちの切実な声が記されていた。

NHKは2010年以降に家族の間で起きた殺人や傷害致死、心中などの事件を調べ、「介護が関係していた」事件が138件あったことがわかった。


なぜ「介護殺人」は相次ぐのか。

平成24年就業構造基本調査によれば、介護をしている人は全国で557万人にのぼる。

不安と絶望を押し殺し、今日も家族の介護を続ける人がいる。

彼らを置き去りにしないための、支援の枠組みが求められている。

NHKスペシャル「“介護殺人”当事者たちの告白」7月3日(日)午後9時~放送

NHKは、NPO法人「介護者サポートネットワークセンター・アラジン」の協力を得て、首都圏に住む家族を介護した経験のある615人を対象にアンケートを実施。

388人から回答を得た。

介護の期間や状況などのほか、


「介護する相手を手にかけてしまいたい」


「一緒に死にたい」


という感情を抱いたことがあるか、という設問も設けた。

回答を寄せたうちの一部の人には直接面会して話を聞いている。


30代で始まった両親の介護

「母親は認知症になってから問題行動が出るようになりました。

不潔になる、ものを取ってきてしまう、暴言を吐く、約束を守らない・・・。

一般的には、寝たきりとか、歩行が難しい人の身体的な介護をイメージするかもしれませんが、僕の介護は、母親の引き起こしたトラブルの後始末がほとんどです」

埼玉県の39歳男性はため息をつく。

77歳の母親は認知症になってから、トイレを流さなくなった。

用を足し続け、何回分かをまとめて流そうとして、詰まってしまうのだ。

「トイレを一式全て交換しなくてはならない。20万かかるんです」

男性は埼玉県内の進学校を卒業し、都内の国立大学に進学。

卒業後は、大手生命保険会社に就職し、親と同居しながら通勤していた。

8年前、父親が胃がんで手術。

その後、物忘れの症状がみられるようになった。

母親も腰を痛めて歩行に障害が出るように。

市役所の相談窓口で介護認定を受けるよう勧められ、父親はアルツハイマー型認知症と診断されて要介護1の認定を受けた。

さらに2年前には、母親も認知症と診断された。

その後、父親は食道がん、母親は糖尿病、高血圧などで入退院を繰り返す。

両親は何度も倒れて救急車で運ばれ、男性はその度に会社を休んで付き添った。

姉がいるが、結婚後は実家に寄り付かず、介護を手伝ってはくれなかった。

男性は30代半ばで、残業も土日出社もできなくなった。


「本当に介護なのか?」会社の無理解

会社の介護への無理解に男性は苦しめられたという。

上司には「本当に介護なのか?」と繰り返し言われた。

「お前は介護と言えば何でも休めると思っているのか」などと叱責されることもあった。

そんな状況の中で、両親の高額な医療費がのしかかる。

4年前、母親が脱水と感染症で入院した時には、病院から個室に入る必要があると言われ、10日間ごとに10万円を請求された。

「病院に行くと、枕元に請求書が置いてあるんです。

1カ月で30万です。

自分の稼いだお金が、あっという間に消えていく。

初めはなんとかやりくりしようとしましたが、あまりにお金がかかるので、そのうち、いくら節約しても無駄なんだと思うようになりました」

あまりのつらさに会社に行けなくなり、その年の夏、退職した。


一線を越えてもおかしくなかった


男性は、両親を手にかけたいと思ったことがあるという。


父親の認知症が重かった4年前。

「今日は何日」

「今、何時だ」

と何度も何度も尋ねられた。


何度答えても繰り返す父親にかっとなり、「さっきも答えただろう。いい加減にしてくれよ」と突き放すと、「何だお前は」と頭を殴られ、 一階の居間から二階のベランダまでしつこく追い回された。


理解不能の行動を取る父親の存在は恐怖となっていた。

男性は、父親から身を守ろうと、枕元にナイフを置いて寝ていたという。

「父親を殺すか、自殺するか、どちらかしかないと思っていました」


父親は2年前に他界。

ぎりぎりのところで踏みとどまったが、今度は母親の行動に悩まされるようになった。

自宅に近所のスーパーの名前が書かれたトイレットペーパーが転がっていたとき。

店から無断で持ち出したと考えた男性が、母を問いただすと罵声を浴びせられた。

そんな言い争いが度々起きた。


「人生台無しにされたんだからさ。殺したいよ、死んでほしい」。

口論の中で、男性が怒鳴ると、激昂した母親が睡眠薬を取り出した。


「これを飲んで死ねばいいんだろう!」


男性は冷静になり「死んで欲しいというのはうそだ、飲まないでくれ」と説得したが、母親は「お前はそう言ったじゃないか」と繰り返した。


死まで、紙一重だと感じた。


一線を越えなかった理由は何かと尋ねると、男性はこうつぶやいた。

「でも自分は、犯罪者になりたくないですもん。自分が大事だから。それだけです」


介護の後も先が見えない

介護のために仕事ができず、先行きが見えない状況に苦しむ人たちは他にもいる。


「先の見えない状況に絶望し、親子心中を考えるようになった」と 東京都の51歳男性はアンケートに記入した。


母親が認知症になり、営業の仕事を辞めて介護に専念。

母親は銀行で引き出した生活費を全て失くす。

同じ話を延々と繰り返す。


真夏に暖房をつけて熱中症で倒れる寸前になるなど、信じられない出来事が続く日々。

男性は、いらだちが募り、毎日が地獄のようだったという。


デイサービスを利用してはいるが、費用の面から、通えるのは週に3日だけ。

徘徊のおそれがあり、ガスの元栓など火の始末の不安があるため、目が離せない。とても、仕事ができる状況ではないという。


母親の介護が終わったとしても、その先をどう生きるのか―。

将来を考える時、不安、という言葉では言い尽くせない、鬱々とした感情に支配されてしまう。

男性は、「介護殺人」を他人事とは思えないという。


「最悪の状態のとき、さらに悪い条件がもう1つ2つ重なっていたら、自分も母も、今はここにいなかったかもしれません。これから先も、どうなるかわかりませんけどね」


「親が死んだら出来るだけ早く死にたい」

「母が死んだ今、今度は父(の介護)で仕事もろくにつけないし、将来も何もない、たぶん、親が死んだら自殺するしかないと思う」


こう記述したのは都内に住む46歳の女性だ。


中小企業で社長秘書などを勤めていたが、40歳のとき、70歳の母親が膠原病を発症。

女性は会社を辞め、実家で介護することにした。

母親は入退院を繰り返し、身体がほとんど動かず寝たきりとなった。


介護しながらでも出来るだけ働きたい。


派遣会社に登録し、区役所の窓口に勤務した。

働き始めてすぐ、母親が体調を崩して救急車で運ばれ、早退したことがあった。

職場には、同じように親の介護をしている職員もいたが、彼らには休暇や早退が認められるなか、上司は派遣社員である女性に冷たかった。


「母親が具合が悪いからって、気もそぞろで仕事が出来ていない」

「彼女はやる気がない」

と派遣会社に苦情が寄せられ、結局、数カ月で契約を切られたという。


「介護のために仕事が出来ず、自分で稼げたお金は1年に100万円未満です。短い時間でも働きたいが、40代になると仕事もめったになく、いつ親が倒れてまた呼ばれるかわからないので、仕事を始める意欲も気力もなくなってしまいました。やりたいこともなく、将来に何の希望も持てていません」


将来への強い不安。ハンカチで涙をぬぐいながら女性は言った。


「介護している父親が死んだら、自分を看取る人もいないし、できるだけ早く死にたいです」


介護者を支える枠組みを

子どもが親を介護する場合、仕事を辞めざるを得なかったり、結婚の機会を逃したりと、人生設計が狂ってしまうことも少なくない。

親の介護を担う人たちは、親への愛情と、自分の人生への不安や焦りの間で、気持ちが揺れ動いている。


アンケートの実施に協力したNPO法人、介護者サポートネットワークセンター・アラジンの牧野史子理事長は、

「介護されるお年寄りの側を支える仕組みはあっても、介護する側の家族を支援する仕組みは不十分」だと指摘する。


行政の窓口も地域包括支援センターも、介護の手続きなどについての相談はできるが、介護者自身の気持ちや、悩みに寄り添うことはしてくれない。

だからハードルが高くて行けないのだと、牧野理事長は話す。

アラジンは、介護の初心者の方が気軽に相談に来られるカフェを開いているという。


「介護と両立可能な仕事の探し方を具体的に教えてくれたり、介護のストレスを聞いてくれたりする場所が必要です」

宗教学者の島田氏は家族主義の限界を指摘、こうした絶望的な状況下でも介護殺人に至らないために、島田氏は非難を覚悟のうえで「 #親を捨てる 」ことを提案した。

 介護殺人予備軍にならないために、子供はどうすればいいのか。

島田氏は「精神的な“親捨て”をしておく必要がある」と指摘する。


「私は17歳の時にそういう事態に直面しました。父が勤めていた会社が倒産して家を失い、一家で借家住まいをしていましたが、父がつてを頼って大阪で働くようになると一家で大阪に引っ越しました。


 しかし私は公立の進学校に通っていたこともあり、ひとり東京に残って賄いつきの実質3畳半の下宿で生活することになった。

それ以来、私は親とは暮らしたことがありません。一度親元を離れた以上、再び戻ることはできませんでした」(島田氏)

 どこかの時点で子供は親離れをしなければならない。

だが、親離れをした後でも、否応なく子供に降りかかってくるのが「親の介護」という難題だ。

島田氏は「子供は親を介護しなければならない」という価値観の根幹にまで鋭い視線を向ける。

「そもそも“親孝行”という考え方は中国から流入してきた儒教思想で、決して普遍的な価値観ではありません。今はその価値観を支える社会基盤である“受け継がれてきた家”がなくなっているから、親孝行を実践しようとしても無理なのです。育ててもらった恩はあっても、果たして自分を犠牲にしてまで親の介護をする必要があるのか。根本から問い直す必要がある」(島田氏)

献身的な娘が両親を殺さなければならない。それが日本の現状なのである。

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「認知症の人が安楽死する国」

2016年1月30日 認知症予防財団


タイトルは刺激的だが、著者は安楽死を積極的に勧めているわけではない。

むしろ宮城県出身者の一人として東日本大震災で家族を失い悲しんでいる人々に涙し、救いの手を差し伸べ、命の大切さを説いて回っているのである。

 出版の動機は、長年連れ添ったオランダ人の精神科医の妻が亡くなる前に、被災地の人々が苦しむ姿を見て「オランダで心の悩みがどう扱われているか知ってほしい」と夫にオランダの医療と介護、福祉の本を書くよう勧めたこと。

 助け合いが社会の基本になっているオランダでは、その一方で自己責任も求められ、そのバランスの上に、安楽死も認められている。

もちろん本人が希望すればだれも可能というわけではない。

認知症の人の意思が明確であり、複数の医師がそれを確認していること、さらに認知症の進行が本人に耐えがたい苦痛であることが証明されているなど一定の要件が求められている。

 両国の事情を照らし合わせることで日本の課題が見えてくる。

(後藤猛著/1800円+税/雲母書房)

서영은(Suh Young Eun)칵테일 사랑(- Cocktail Love)


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